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泣〜いちゃった、泣〜いちゃった。
泣くなと思っていたんだよな。山本尚貴選手。
だから心の準備をしていたのに、目の当たりにしてしまうと、こっちももらい泣き状態になってしまうのでした。
リポーターとしては、冷静でなくてはならないのに・・・。いったい何年やっているのでしょうかね。ハイ、手と足の指たしてもたりないくらいの年数やってます。

今年の鈴鹿1000キロは序盤からガンガンだった!最初に攻めたのは三番手スタートのレクサスSC430、中嶋一貴選手。マラソン的にまずは、オープニングラップは様子見かと思ったら、一気にパッシング。やる気満々(皆そうだけれど)だった。けれど、山本選手が抜き返して・・・。

しかし、しかしだ。66周目のアクシデントで水入り。
GT300クラスのマシンに火災発生。その前にタイヤトラブルが発生していて、ボディーワークを叩いてしまったので、デブリスがコース上に散乱してしまってセイフティカーのお出ましだった。これで一貴選手の順位がガクッと下がった。その原因なのですが、本人達も首を傾げる状態で、狐につままれたのか狸にだまされたのか。ピットインのタイミングが悪かったとしか、言いようがない。二番手から一気に七番手に下がってしまって。これで優勝の可能性は遠ざかった。一時は、モチベーション激下がりだったという。 一方の山本組は、パートナーのマコ(ビッキ)も手堅く、そして速く。<水入り>でも二番手に下がっただけで、ラッキーな面もあった。第一スティントで早めにタイヤが摩耗した日産GT−Rの23号車がケガの功名で後半トップになっていたのだが、山本組がぶち抜いた。この様子を見ていたら、今回は、山本組のホンダHSVにかなうチームは居なかったなと分かった。

それにしても、恐るべし。そう、レーシングASIMO 01号機=山本選手の進化の早さは脅威としか表現できない。優勝するのは時間の問題と皆が期待していた。大舞台の最長1000キロレースで初優勝。そしてだ、ASIMOの開発陣が涙を流す機能をちゃんと装備させていたとは、なんとも憎い演出ではないか。さすが栃研だ。これからどのような機能が増強されて行くのだろうか。とても楽しみである。
(おことわり:最後の部分はフィクションです。事実には限りなく近いのですが、今はフィクションとだけお伝えします)

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高橋 二朗
日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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