[写真]宮市は約10分間の途中出場であまり活躍できず、
少し落ち込んだ様子で控え室へ戻っていった。
だが取材になると、そんな様子はまったく見せなかった。

えっ?耳を疑った。宮市亮が地元外国人記者からのインタビューに、英語ですらすらと答えていたからだ。1日のストーク戦で、後半35分から途中出場し、ウィガン でのプレミアリーグデビューを果たしたあとのことだ。取材許可が下り、選手控え室の近くへ歩いて行くと、その廊下で黒いスーツにブルーのネクタイ姿の宮市は、すでに地元外国人記者から取材を受けていた。的確に質問を聞き取り、よどみなく、答えているではないか。

昨季、ボルトンでコイル監督やスタッフから「リョウは英語が上手い」と聞いていたが、本当だった。態度も堂々としたもので、私たち日本人記者からの取材と同様、記者の顔をしっかり見て、質問の意図を汲んで答えていく。私だけではなく、そこにいた日本人記者全員が驚いた。

宮市が英国で暮らすようになって、実質1年ちょっとしか経っていない。最初の数カ月はフェイノールト(オランダ)でプレーし、英語を使っていたというが、それでも1年9カ月だ。かつてアーセナル、フラム、ウェストブロミッジでプレーした稲本潤一や、ボルトンでプレーした中田英寿も英語は流暢にしゃべったが、宮市はすでにそのレベルにいた。

英語での取材が終わり、日本語での取材になったとき、聞いてみた。
−英語の受け答えは、まったく不自由なさそう?
「そうですね。インタビューとかは、まだちょっと難しいところがあるんですけど …」
−記者が言ってることはすべて分かっていた。
「そうですね。日常の普段、サッカーをする分では、サッカーする面では問題ないと思います」

通訳をつけず、ずっとひとりで頑張って来た成果だろう。欧州へ来たのは18歳のときだったから、覚えが早く、耳もよかったのかもしれない。それでも練習に合間にかなり頑張って勉強をしていたに違いない。そうでなければ、ここまでしっかりした文法の英語をしゃべれるはずがない。日本人選手だけでなく、たくさんの留学生や駐在員と接して来たが、こんなに英語の上達の早い人を知らない。

かつて日本でJリーグを取材していたころ、外国人選手にはある傾向があると感じていた。すぐに日本語をしゃべり、日本食を食べる選手は、いい成績を残すのだ。逆に「コンニチハ」とか「アリガトー」という短い言葉さえままならず、日本の文化に馴染もうとしない選手は、短期間で日本を去るケースが多かった。

これは海外へ移籍した日本人選手も同じだった。これまで100人近い日本人選手が欧州でプレーし、何十人と取材して来たが、その多くがピッチの内外、また生活面でも、ずっと通訳に頼ってきた。「語学、勉強していますよ」と言いながら、生活レベルの会話もままならないまま、日本へ帰って行った選手は多かった。

だが宮市だけでなく、みんなこうした先人たちから学んでいるのだろう。マンチェスター・ユナイテッドへ移籍した香川真司は、プレシーズンツアーの序盤までは通訳がついていたが、いまは通訳なしで頑張っている。サウサンプトンの李忠成も現在は通訳がついているが、来年1月からはひとり立ちする予定だ。また同じサウサンプトンへ移籍が決まった吉田麻也は、すでにかなり英語はしゃべれる。

異国のピッチで活躍するには、その国の言葉を話すことが近道だ。そういう意味でイングランドの4人の日本人選手は、いまとてもいい傾向にある。

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原田 公樹
1966(昭和41)年8月27日横須賀生まれ、呉育ち。国学院大学文学部中退。週刊誌記者を経てフリーのスポーツライターとして独立し、99年に英国へ移住。ウェンブリースタジアムを望む、北ロンドンの12階のアパートメントに住んでいる。東京中日スポーツやサッカーマガジンに寄稿し、ロンドン・ジャパニーズの不動の左サイドバックでもある。 »Twitterアカウント »メールを送る

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