先日、イビチャ・オシムが監督を務めていた時代のシュトゥルム・グラーツの試合の解説をするという仕事が舞い込んできた。

担当した試合の一つが2000/01シーズンのチャンピオンズリーグ・1次リーグのグラスゴー・レンジャーズ戦だった(2000年10月25日)。シュタイヤーマルク州にあるグラーツはオーストリア第2の都市だが、サッカーの世界ではウィーンなどに敵わず、1930年代にアマチュアのチャンピオンになったことはあるが、プロでの全国優勝の経験のない地方クラブだった。そのシュトゥルム・グラーツに革命をもたらしたのがイビチャ・オシムで、1994年に監督に就任すると、1996年にOFBカップで初のタイトルを獲得(97年、99年にも優勝)。1998年と99年にはブンデスリーガを連覇。98/99シーズンからは3シーズン連続でチャンピオンズリーグに出場。3度目の挑戦となった00/01シーズンではついに1次リーグを突破し、クラブの歴史を変えたのだ。

さて、00/01シーズンのレンジャーズ戦である。

当時のレンジャーズの監督はオランダの名将ディック・アドフォカート。選手にもロナルド・デブールはジョバンニ・ファンブロンクホルスト、アルトゥール・ヌマンといったオランダの選手がおり、そのほかにもロシアのカンチェルスキス、トルコのトゥガイなどがおり、ネームバリューから言ったら、シュトゥルム・グラーツよりだいぶ格上である。そのレンジャーズを相手に、ホームのシュトゥム・グラーツが完璧な守備で完封。そして、効果的なカウンターアタックによって2点を奪って、完勝して見せたのである。

この試合のレンジャーズのツートップはR・デブールとイングランド国籍の黒人選手ウォレス。そのツートップに対して、シュトゥルム・グラーツはコルソース(ハンガリー)とノイキルヒナーの2人がマンマークで守る。そして、中央には33歳のベテラン、ランコ・ポッポヴィッチ(大分トリニータ前監督)がカバーに入る。この守備が、まさに芸術的なのだ。レンジャーズがパスを回し(オランダ主体のレンジャーズは、比較的パスを回してくるスタイルを貫いている)、トップにくさびのパスが入る瞬間にコルソースとノイキルヒナーの2人が絶妙のタイミングでアプローチをかける。そして、そこにポポヴィッチがサポートに入り、ストッパーとポポヴィッチが距離を詰めて、2人がかりでピッタリ相手をマークするのだ。そして、ポポヴィッチのサポートがある場合にはストッパーは果敢にボール奪取にチャレンジし、これがはずされた瞬間にはポポヴィッチがボールを奪う。

そう、ジェフ市原にやって来たときも、オシムはよくマンマークの守備をやっていた。それと同じである。

最近の日本では、「スリーバックは守備的だ」とか、「マンマークは古臭い」といった誤ったイメージが広まっているが、守備的か、攻撃的かというのは、そこでピッチ上でどのようなプレーをするのか。チャンスやピンチのときに、選手個々がどのようなプレーを選択するのかにかかっているのであって、単なる数字の羅列によって決まるものではない。「スリー」だとか「フォー」だとか、「3-5-2」とか「4-2-3-1」とかは、単なるオリジナル・ポジションをごくごく分かりやすく表現しただけのものであって、プレースタイルとか戦術を表現する魔法の数字ではない。相手ツートップ相手にマンマークを付け、リベロがカバーする守備。もちろん、これはきわめて堅いディフェンスのやり方である。これで引いて守っていれば、あるいは、DFが守っているだけだったら、たしかに守備的な戦いということになる。

だが、シュトゥルム・グラーツの戦い方はまったく守備的ということではないのだ。

第一の理由は、引いて守るのではなく、ボールが奪えるような場合には、リベロのポポヴィッチがどんどんオリジナル・ポジションから離れて、中盤でボール奪取しにチャレンジしていくのだ。たとえば、相手のパス回しがうまくいかないで手間取っているとき。あるいは、味方のプレッシングが効いているとき。こうしたときには、どんどん前からチャレンジに行く。また、マンマークのストッパーとリベロのポポヴィッチがしっかりとポジションを取ったときには、間髪を入れずにストッパーがチャレンジに行くから、ボールを奪うタイミングが早いのだ。日本では、せっかく2人がマークに入っているのに2人ともチャレンジに行かず、結果として、2人のDFの中央を突破されてしまうような場面が見られるが、その辺はDFの判断力の問題なのだろう。

マンマークを基礎にして、しっかり守りながら、いつでも相手ボールを奪いに行くという姿勢。そして、どういう場合にチャレンジに行って、どういう場合には相手を遅らせる守備をしてリトリートするか。すべては、ピッチ上にいる選手の判断力にかかっているのである。

そして、シュトゥルム・グラーツの戦い方がけっして守備的ではないという、第2の理由はスリーバックがボールを奪った瞬間に、人数をかけたカウンター攻撃が始まるからだ。ボールを奪って、前にスペースがあれば、DFがそのままボールを持って上がる。トップのユラン、ラインマイヤー、コチャンなどがフリーになっていれば、ロングボールを蹴ることもあるが、基本的にはMFですばやくボールを動かしながら、相手陣内にボールを持ち込んでいく。そして、右サイドでパスがつながっていれば、その間に左サイドでは1人、2人とスペースに人が入り込んでいく。そして、相手ペナルティーエリアの近くで、大きくサイドチェンジすれば、フリーの味方が入り込んで来てフィニッシュに持ち込めるのだ。

まさに、ジェフ市原にやって来たオシム監督が、やろうとしていたサッカーの完成形である。ジェフの選手たちは最初はとまどいながら、「監督に言われたから走らなければ」と思いながら走っていたはずだ。だが、走ることで自由にプレーできるスペースが与えられること、走ることをサボれば逆に苦しくなることを覚え、前にスペースがあれば自動的に足が動き出すようになっていった。マンマークのスリーバックでも、当時のジェフ市原のサッカーはけっして守備的ではなかった。

「オシム監督が脳梗塞で倒れなかったら、今の日本代表はどうなっていただろう?」といったことを言う人が最近多い。だが、僕は、このシュトゥルム・グラーツ最強のシーズンの戦い方を見ていて、「あのまま、オシム監督がジェフを率い続けていたら、ジェフというチームがどれだけ美しくて、強いチームになっていたか」。そのことの方が残念に思えたのだ。

シュトゥルム・グラーツがUEFAチャンピオンズリーグで旋風を巻き起こしたように、ジェフ・ユナイテッド千葉がACLを制覇する場面などが見られるようになっていたかもしれない……。

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授