スペインで苦境に陥っている中村俊輔(エスパニョール)の横浜F・マリノス移籍が秒読み段階に入った。20日には横浜幹部と代理人が条件面で合意。週明けにはクラブ間交渉に入り、今月中には決着の運びだという。8年ぶりのJリーグ復帰がいよいよ現実になろうとしている。セルティック4シーズンでの成功を引っさげ、果たした念願のスペイン移籍は、志半ばに終わることになりそうだ。
2009年夏、31歳になった俊輔は2010年南アフリカワールドカップでの成功を視野に入れ、スペインでさらなる飛躍を期していた。今季リーガ・エスパニョーラ開幕戦のアスレティック・ビルバオ戦でフル出場したところまでは幸先がよかった。が、9月の日本代表欧州遠征から戻った第2節のレアル・マドリード戦では、早くも不穏な空気が漂い始めた。オランダ戦で左足首を痛めたのが影響して前半だけで交代。
しかも本人はチームの4−3−3と自分の特徴をどう合わせていくかで苦悩していた。ボールを触ってリズムを作るのを得意とする俊輔はボランチか攻撃的MFの位置に入りたいのだが、そこにはベルドゥら実績のある選手がいる。ボチェッティーノ監督もあくまで俊輔の右アウトサイド起用にこだわった。けれどもスピードで勝負するタイプではない彼に、ウインガーとして効果的な仕事をするのは難しい。ジレンマを抱えたまま10月の日本代表3連戦に参加している間、ボチェッティーノ監督は新戦力を登用。俊輔がクラブに戻った時には、彼らの存在が大きくなっていた。
そんな事情もあり、11月に入るとベンチに座る時間が一気に長くなる。出場時間も後半の残り20分、10分足らずと減っていき、ほとんど出番のない状況に追い込まれた。イタリア時代も控え生活を余儀なくされた経験を持つ俊輔はどこまでも前向きだったようだが、ボチェッティーノ監督との溝は大きくなっていく。スペイン語を話せないことも大きなハンディキャップになった。
俊輔の場合、イタリア時代の最初の2シーズンは通訳がついていたし、セルティック時代は通訳が全てのコミュニケーションを代行してくれた。「語学の勉強はストレスになる。自分はサッカーに集中したい」というのが彼のポリシーだったのだ。しかしクラブ側が通訳を用意せず、他の選手と同じ条件で練習することを求めるエスパニョールでは、そのやり方は通用しなかった。
サッカースタイルへの戸惑いとコミュニケーションという2つの壁に阻まれ、浮上のきっかけをつかめないまま2010年ワールドカップイヤーに突入。1月24日の第19節・マジョルカ戦からは右太もも負傷もあって4試合連続ベンチ外となっている。21日の第23節・マラガ戦ではピッチに戻ってきたが、残り4分間の出場にとどまった。本人も周囲も「シーズン終盤になれば状況が変わるかもしれない」とかすかな希望を持っていただろうが、南アを考えるとさすがに黙っていられない厳しい事態になっているのは間違いない。
そういう時期だけに古巣復帰は悪くない選択である。サッカー選手はどんなに優れた能力を持っていても試合から遠ざかればどうしても勘が鈍る。俊輔はレッジーナにいた2003−04シーズンに長期離脱から戻ってきた直後、「イメージが沸かない。ケガをする前だったらボールを受ける前に複数のプレーが思い浮かぶのに、今はボールをもらってから考えている感じ」と戸惑いを口にしていた。そこから本調子に戻るまで3〜4ヵ月かかったのを考えると、ワールドカップまで時間的にギリギリだ。
1998年フランス、2002年日韓で2度続けて代表落選の屈辱を味わい、ようやくピッチに立てた2006年ドイツ大会では原因不明の体調不良が続いて、彼らしいプレーがまるでできなかった。その悔しさがあるから、俊輔は南アに特別な意欲を燃やしている。そういう彼のキャリアを考えても、今は1試合でも多くプレーできるところに環境を変えた方がいい。挑戦を途中で諦めるのは屈辱だろうし、不完全燃焼感も残るだろうが、今は目先の目標のために現実的になった方が得策だ。
中村俊輔がJリーグに復帰すれば、低迷している日本代表にとってもプラスではないか。岡田武史監督はあくまで俊輔中心のチーム作りにこだわっており、彼がいなければいくら試合をこなしてもチームを磨き上げることはできない。俊輔が国内にいれば、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)のある週に緊急の代表合宿を召集することも可能だろうし、親善試合でも時差なくいい状態でプレーできるはずだ。
今年に入って小野伸二(清水)、稲本潤一(川崎)とシドニー世代の海外組が続々とJリーグに復帰している。彼らの世代が欧州トップへの壁を突破できず、頂点を極められないまま帰国したのは残念だが、その経験は必ず日本サッカー界に還元できるはず。俊輔自身はまだ迷っているかもしれないが、横浜復帰という覚悟を決めるのであれば、気持ちを切り替えて全力でワールドカップに向かうべき。スペインでのリベンジは南アフリカでするしかない。
元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。


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