2020年のオリンピック招致の意向を示していた長崎市が、立候補を取りやめたという。

長崎市は、広島市との共同開催という形で立候補の意思を示していたのだが、IOC(国際オリンピック委員会)の規約では、オリンピックは単一の都市の開催となっていて、共同開催は認められそうもないということで立候補を取りやめたらしい。残念なことである。

2016年のオリンピックには東京も立候補していたが、結局、2016年はリオデジャネイロ開催が決まった。ブラジルのリオデジャネイロの場合は「南アメリカ大陸で初のオリンピック」という大きな大義名分があったのに対して、東京の場合には「なぜ、東京なのか」という開催意義がはっきりしなかったのが大きな敗因だろう。「会場が都心に集中しているコンパクトなオリンピック」というのが東京のウリだった。その開催計画自体は、IOCにも高く評価されたらしい。だが、東京でなければならない意義はIOC委員には伝わらなかった。

1964年に東京でオリンピックが開催されたが、この時は「アジアで初」であり、また「第2次世界大戦の敗戦から復興した日本の姿をアピールする」大会だった。1988年のソウルも、2008年の北京も、過去3回のアジアでの夏季オリンピックの場合は、みな「先進国への仲間入り」を世界にアピールするという意味のあるオリンピックだった。

だが、「今なぜ東京なのか」という問いには、日本人の誰もがなかなか答えられないはずだ。

これは、2018年、2022年のワールドカップ招致を目指している日本のサッカー界にも言えることだ。2002年に、共同開催という形ではあったが、ワールドカップを開催したばかりの日本で、なぜ再びワールドカップを開くのか。その意義をアピールできなければ、世界の理解は得られない。今年は、ワールドカップが南アフリカで開かれる。この大会は、治安問題など課題が山積した大会ではあるが、開催意義は十分にある大会だ。

まず「アフリカ大陸初のワールドカップ」となること。そして、アパルトヘイトという暗い歴史を背負ったこの国で、とくに黒人たちの間で人気が高かったサッカーのワールドカップを開催することで、国民の間の一体感を醸成し、それがこの国の安定と発展に寄与できたらこんなにすばらしいことはない。1995年、南アフリカが民主化した翌年に開かれたラグビーのワールドカップが、国の一体感、人種間の和解を演出したのと同じような効果が期待できるのだ。

ラグビーは、この国でアパルトヘイト政策を推し進めてきたアフリカーナー(オランダ系の白人)の間でとくに人気の高かったスポーツだったから、かつては黒人たちはラグビーの南アフリカ代表チームを決して応援しなかったという。だが、前年に大統領に選ばれたばかりのネルソン・マンデラは、ラグビーのジャージを着込んで熱心に南アフリカ代表を応援することで、白人たちに対して「和解して、ともに南アフリカを発展させようではないか」というメッセージを送ったのだった。

そして、ラグビーの代表は、見事にワールドカップで優勝。実際に黒人たちもそれをわが事のように喜んだ。

さて、そこで広島と長崎の共同開催である。開催意義は、東京の場合と違って、はっきりしている。1945年に被爆した2つの都市での共同開催は、「核のない世界を作ろう」という強烈なアピールになりうるのだ。

いいアイディアだと、僕は思う。

だが、この両都市のアイディアに対して、日本オリンピック委員会(JOC)は初めから及び腰だった。IOCの規約には「共同開催」という規定がないからだ。JOCが自分の責任で「だから、立候補は取り下げろ」と両都市を説得したというのなら、まだ話は分かる。だが、JOCは、わざわざIOCの意向を確認してから、「IOCが共同開催を認める意向はないようだ」という形で立候補取り下げを要請したというのだ。

なんという弱腰だ!アメリカの外圧を理由に無理難題を通そうとする歴代の日本政府とそっくりな態度である。広島、長崎の共同開催は間違いなく意義のあることだ。

それなら、JOCは、なぜIOCに対して共同開催を認めるように説得しようとしなかったのだろうか?たとえ、それが理由で落選したとしても、あるいは立候補が認められなくても、それはそれでいいではないか。世界に対して自分たちの意見を主張し、世界を説得しようという態度がどうして取れないのだろうか?AFCに対して、アジアカップ予選の日程変更を認めさせられない日本サッカー協会もそうだが、世界を相手に自分の主張を堂々と披瀝できなとは、まったくもって情けない限りである。

そういえば、昔、10年位前だったろうか、「世界に対して自己主張ができない日本のサッカーが情けない」ということを言っていたコーチがいたのを思い出した。そう、それは岡田武史という人物だった。「ワールドカップでベスト4に入ろう」というのも、もちろん選手たちのやる気を引き出すための言葉。チームマネージメントの手段でもあるのだろうが、「世界に対して『日本人にもサッカーが出来るんだ』ということを見せ付けてやりたい」という彼の負けん気の強さから出た本気の部分もきっとあるのだろう。

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授