岡田ジャパンの世界デビューとなった5日のオランダ戦(エンスヘーデ)を、現地で取材した。2005年ワールドユース以来、4年ぶりに訪れたFCトゥエンテのスタジアムは昨年改修され、収容規模が1万3000人から2万4000人へと拡大されていた。4年前の6月も不安定な気象条件だったが、それは今回も同じ。まだ9月初旬というのに、気温17〜18度。晴れと曇り、横なぐりの雨と一瞬のうちに天気がコロコロ変わった。雨を吸った欧州特有の重いピッチに不慣れな国内組も多い。条件面でも日本代表の苦戦が予想された。
だが、前半は相手が様子見で来てくれたこともあり、思いのほかボールが持てた。前線からのプレスがよくかかり、ファンペルシー(アーセナル)、カイト(リバプール)、ロッベン(バイエルン)の強力3トップにボールが入らない。オランダのサイドアタックも迫力がなく、日本にしてみれば狙い通りの展開だった。ところが後半、玉田圭司(名古屋)から本田圭佑(VVVフェンロ)に選手交代したところからリズムが狂いだした。岡田武史監督が「どうしてもテストしたかった」と送り出した本田だったが、守備面で連動できず、攻撃面でも自分のポリシーである1対1を前面に押し出しすぎてブレーキになった。
「どこか1つのピースがかけると、攻撃人数が足りなくなったり、守備も後ろで守れなくなったりすることがハッキリした」と岡田武史監督は本田投入によるマイナス効果を暗に指摘した。
本田という強烈な個性は、連動性を重視する今の岡田ジャパンには融合できないのか。指揮官自身も落胆はあっただろう。結果として後半は組織がズタズタになり、集中が切れたところで後半25分にセットプレーからファンペルシーに先制弾を叩き込まれた。その後のスナイデル(インテル)の2点目、フンテラール(ACミラン)の3点目は普段、我々がお目にかかれないレベルのゴールだった。「最後のところの質が物凄かった。フンテラールの佑二(中澤=横浜)さんから逃げる動きも巧みだったし、しっかりゴールの中に入れる能力の高さも感じた」と中村憲剛(川崎)も脱帽していた。
終わってみれば0-3。現時点でのオランダと日本の差はこんなものだろう。南アワールドカップ4強という目標がいかに高いものか。選手たちも思い知らされたに違いない。こんな試合の中で、1つ気になることがあった。自分の個性を前面に押し出そうとする本田に対し、中村俊輔(エスパニョール)が繰り返し苦言を呈したのだ。
「後半落ちたのは体力的な問題じゃない。1個ずれると全体がはまらないから、余計体力を使って、余計足が止まるということ。新しく入ってきた人はもともと体力があるわけだから、もっと走らないと。もっと走って、気を利かせたプレーをしないと。それができなくて、ズレてズレてとなってた。簡単に後ろの方まで行かれてたのが多かった」。
直接、「本田」という名前は口にしなかったものの、彼に対する不満があるのは、この口ぶりからも明らかだった。俊輔自身、トルシエジャパンの頃は「自分自分」という考えが強かった。それを押し出しすぎて、最終的に2002年日韓ワールドカップ落選という屈辱を味わっている。その後のイタリアでも指揮官の要求に応えられず、試合から遠ざかる経験もした。だからこそ、若く血気盛んな本田に対して「もっとチームのことを考えてやれ」と言いたいのだろう。
そういう俊輔の気持ちもよく分かる。「オランダのスナイデルのシュートなんて、Jリーグでは絶対にないわけだし。みんな向こうはトップクラス。パワーや個人の力もありつつ、組織で戦えるんだから。俺たちはそういう個の力がないわけだから、それ以上の組織力で戦わないといけない」という1つ1つのコメントは、まさに正論だろう。とはいえ、本田が今の日本人にない個性を持っているのは間違いない。オランダ戦では全くの不発だったが、ゴールへの執着心、1対1で仕掛ける意識は非凡だ。そういう人材を戦力にしなければ日本代表のさらなる成長はないはずだ。ゆえに、俊輔にはもっと本田とコミュニケーションを取ってほしいのだ。
「俺は親じゃないから。自分でやってほしいという感じ。『お前やれ』とか言うのもね」と俊輔本人は本田の自覚を促した。
が、日本の選手はもともとコミュニケーションが足りない。言いたいことがあれば、メディアに言う前に、直接、自分たちで議論した方がいいはずだ。それをしなければ、ドイツワールドカップの二の舞になる可能性もある。当時のキャプテンの宮本恒靖(神戸)は「日本人は何も言わない。もっと言い合う文化にならないといけない」と反省を口にしていた。今は宮本の役割を俊輔らがやらなければいけない。本田自身の意識改革ももちろん重要だが、それを促す仕事をベテランの彼に改めて求めたい。
元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。


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