2007年夏、灼熱の韓国でU-17ワールドカップが開かれていた。城福浩監督(現FC東京)率いるU-17日本代表はハイチ、ナイジェリア、フランスと対戦。ハイチには3-1で勝利したものの、3度目の優勝を飾ることになるナイジェリアと、フランスに苦杯を喫し、グループリーグ敗退、16強入りを逃した。そんな日本には、今をときめく山田直輝(浦和)やFC東京で新人ながらレギュラーポジションをつかんだ米本拓司らがいた。が、彼らをはるかに超える際立った存在感を示したのが、エース・柿谷曜一朗だ。

4歳の時からセレッソ大阪の下部組織で育ち、U-12年代から日本代表入りした彼は、創造性溢れるアタッカーだ。その得点感覚の鋭さは頭抜けていた。フランス戦で見せたハーフウェーライン少し後方からDFをかわし、右足を振りぬいた超ロングシュートは、今も我々の心を捉えて離さない。

「ハイチやナイジェリア、フランスも遠目からシュートを打ってきていた。日本の選手は基本的にゴール前でシュートを狙う人が少なくて、キレイにパスを回す人が多い。チーム戦術上、仕方ない面はあるけど、FWとしては5本売って1点、30本打って2点取った方が気持ちいい。もっと積極的に狙って、ストライカーらしくやっていきたい」

と17歳だった若者は強気のコメントを残した。今の若い選手でこれだけゴールにこだわれる選手も珍しい。彼の輝ける未来を想像して、我々も久しぶりに胸がトキめいたほどだ。だが、それから2年が経ち、19歳になった柿谷は表舞台から消えてしまった。現在は古巣・C大阪を離れ、J2中位の徳島ヴォルティスでのプレーを余儀なくされている。彼のキャリアは必ずしも順風満帆ではなかったのだ。

プロ2年目だった2007年は、21試合出場とピッチには立ったが、得点はわずか2に終わった。心機一転、迎えた2008年はシーズン途中にレギュラーをつかんだものの安定感がなく、終盤はベンチ外の日々を余儀なくされた。24試合出場0得点という結果もクルピ監督を大いに落胆させた。そして勝負の年となった今季も泣かず飛ばず。香川真司、乾貴士という同世代のタレントが爆発する中、柿谷は「結果を出せ」という周囲の重圧に負けてしまった。

地元にいれば、甘えも出やすい。彼は今季わずか3ヶ月間に4度も練習に遅刻した。「別に遊んでたとかじゃなくて、起きてまた寝て、起きて、また寝てを繰り返してしまう。ホンマにアホやと思ったけど、治らなかった」と本人も深く反省するが、規律のなさは当然、指揮官に問題視されただろう。結局、ミスター・セレッソになるはずだった若者は15年以上所属してきたクラブを去ることになる。6月18日、徳島ヴォルティスへのレンタル移籍が決まったのだ。

J1昇格を見据えるC大阪と、J2参入5年目で力をつけている徳島は、やはり取り巻く環境が異なる。キャプテン・倉貫一毅は「今季はJ1を経験したメンバーが沢山いるし、戦力的にも悪くないけど、歴史や経験値が湘南やセレッソ、仙台、甲府なんかとは違う。サポーターもメディアも関係者も高いレベルの経験がない。僕らも含めて『勝たなきゃいけない』というプレッシャーを今、初めて感じている」と説明する。エースとして世界大会を戦った柿谷にしてみれば、さまざまな面で驚きがあるのではないか。それでも、慣れ親しんだ大阪を離れ、徳島という未知の場所にやってきて、ようやくコンスタントに試合に出るようになったことで、サッカー選手とはどうあるべきかを初めて悟ったようだ。

「セレッソにいた頃は別に大した結果を残したわけでもないのに、『オレは大丈夫や』という気持ちがどこかにあった。そういう意識が間違いだったと分かった。徳島に来て、試合に出る楽しさを再認識したことで、そう思えたんです。オレはやっぱりサッカーしてる自分が一番やなと。試合のためにコンディションを整え、生活することの楽しさを今は実感しながらやってます」。

遅刻癖もチームメートに助けられながら克服しつつある。今はペ・スンジンに毎朝電話してもらって、一緒に練習場に行っているという。そういう努力もセレッソ時代にはなかったことだ。倉貫は「セレッソ時代は周りも曜一朗には色々言わないところがあったんじゃないかな。でも初めて外に出て、結果を出さなきゃアカンと真剣に考えているのがよく分かる。今は僕らベテランにもすごく要求してきますよ」と前向きに見ている。

ともに韓国で戦った山田や米本に先を越される形になったが、柿谷には点を取るという才能がある。天才的FWというのは往々にして私生活に問題があったり、規律を欠いたりするもの。そんな精神的な問題を克服できれば、再び輝くことは可能だ。徳島で得たチャンスをムダにしないでほしい。

photo

元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。