11月1日、今季Jリーグの最初のタイトルを決めるヤマザキナビスコカップ決勝が東京・国立競技場で行われる。周知の事実だが、対戦カードは大分トリニータ対清水エスパルス。大分が勝てばクラブ初、清水が勝てば96年以来2度目となる。最近のリーグ戦を見ていると、岡崎慎司や枝村匠馬が絶好調の清水の方が優勢に見える。しかし地方の小クラブである大分にとってはタイトルは悲願。彼らはこの大一番に勝負をかけているのだ。

この大分に先週、取材に行ったのだが、チームショップの「CLUB TRINITA」ではナビスコカップ限定商品が即日完売するなど、サポーターは大変な盛り上がりになっている。チームへの取材も殺到しており、溝畑宏社長のドキュメント番組が放送されるなど、注目度はこれまでにないほどだ。

そもそも大分は母体企業も母体チームもないクラブとして94年に発足した。その仕掛け人が溝畑氏だった。自治省の官僚として大分県に出向した彼は「サッカーで地方を元気にしたい」と考え、チームを立ち上げた。だが芝生グランドは1面しかなく、練習場もない。せっかくセレクションをして選手を集めても初試合の観客はたった3人というから、いかに苦難の船出だったか分かるだろう。

大分県リーグからスタートして2年でJFLに昇格するも、97年には当時のメインスポンサーだった朝日ソーラーが撤退。運営費の4割にものぼる7000万円を失った。溝畑氏は私財を投げ打って経営を支えるとともに、新たなスポンサーであるペイントハウスを見出した。これで99年のJ1・2部制に必要な法人化を果たしたのだった。

しかし99年のJ2・1年目も最終節でモンテディオ山形にロスタイムに失点。J1昇格をFC東京に譲ってしまう。これは「大分の悲劇」として知られるが、そこから彼らの足踏みは続く。溝畑氏が掲げた当初目標の「2002年までのJ1昇格」も果たせなかった。「まるで3浪している気分」と彼は当時の心境をこう振り返る。それでも2002年には小林伸二監督(現山形)のもと、何とかJ2優勝を果たし、念願のJ1昇格を決めた。

ここからは落ち着くかと思いきや、2004〜2005年にかけて最大級の経営危機が起きる。5億円を超えるスポンサー料を支払っていたペイントハウスが急きょ撤退。運営費に穴が空きそうになったのだ。大分社長を兼ねていた同社の星野初太郎氏が退くことも決定。そして小室哲哉の音楽事務所「トライバルキックス」と2億5000万円のスポンサー契約を取り付ける。だがその話も2005年春には頓挫。彼らは7億円を超える負債を抱えることになった。

この時点でクラブの経営規模は20億円近くなっており、高年棒選手も複数雇っていた。そこに起きた経営危機だけに、影響は大きかった。溝畑社長は新スポンサーのマルハンを見つけ、強化部門はかつてないほど大胆なスリム化を図る。そしてシャムスカ監督が就任し、低迷していた空気を一気に払拭する。2005年の劇的なJ1残留、2006年の8位への躍進は多くのファンを力づけたことだろう。

だが苦境はまだまだ続く。2007年前半はシャムスカ監督が要望したセルジーニョ、ジュニオール・マラニョンが不振を極め、6月末の横浜戦後にはサポーター3000人が九石ドームに陣取って抗議活動を繰り広げた。「このままでは本当に降格してしまう」と危機感を募らせたフロントはすぐさま動き、2006年の中心選手であるエジミウソンを呼び戻し、ホベルトと鈴木慎吾を獲得する。この補強に1億円を投じたが、その判断は功を奏する。昨季後半戦は見事な巻き返しを図り、またも残留に成功した。

これだけの紆余曲折を経てきたクラブゆえに、このナビスコカップ決勝進出がいかに意味のあるものか分かるだろう。

しかしながら、今回の大一番にはゲームキャプテンの鈴木が出場停止。これは大分にとって痛い部分だ。シャムスカ監督は家長昭博か小林亮、藤田義明のいずれかを先発起用するつもりだ。堅守速攻の大分らしく守りを固めたいなら藤田だろうが、この試合は特別な重圧がある。そういう経験値を考えると、家長が有力だろう。新天地で負傷から復帰したばかりの彼がブレイクするかどうかも1つの見どころといえる。

今の大分は家長のみならず、森重真人、金崎夢生、森島康仁、高橋大輔ら若手が多い。ベテランといえる選手は外国人のエジミウソンくらい。大舞台の経験値では伊東輝悦や市川大祐のいる清水に劣る。そのマイナス面をいかに克服するのか。知将・シャムスカ監督の手腕が注目される。気合と一体感だけなら大分が上回る。その長所を発揮できれば、彼らはタイトルに大きく近づくだろう。

ファイナルはやはり特別な舞台。力と力のぶつかり合いをぜひ見せてほしい。歴史に残る好勝負を期待したいものだ。

元川 悦子

もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。