サンフレッチェ広島の史上最速J1復帰が決まった23日、FC東京対ジュビロ磐田戦を取材に行った。かつての名門がなぜ降格ゾーンにいるのかを知りたいと思ったからだ。

磐田といえば、90年代後半から21世紀初頭にかけて栄華を極めたチーム。ドゥンガ(現ブラジル代表監督)や藤田俊哉(名古屋)、名波浩(磐田)、福西崇史(東京V)らからなるかつての中盤は華麗で、見る者を大いに魅了した。ヤマハ時代を知る中山雅史(磐田)と98年入団の高原直泰(浦和)の2トップも泥臭さと老獪さを兼ね備え、対戦相手の守備陣を震え上がらせた。彼らの強さは文句のつけようがなかった。

そんな常勝軍団の凋落が始まったのが、高原がハンブルガーSV、藤田がユトレヒトへ移籍した2003年頃だろう。2003年には、チームが上昇気流を描いた時代を熟知する柳下正明(現ヘッドコーチ)が就任したが、フロントとの意見が合わず、わずか1年で辞任。その後も鈴木政一、桑原隆が指揮を執ったが、チームはズルズルと交替していく。鈴木らは菊地直哉(現イエナ)、成岡翔、大井健太郎ら地元出身の若手を登用し、世代交代を図ろうと試みるが、それも思うように進まない。

迎えた2005年、アテネ五輪代表監督だった山本昌邦監督が就任すると、ジェフ千葉から村井慎二、茶野隆行、元韓国代表の崔龍洙、ノアシャランに所属していた川口能活など大量補強を実施する。その一方で、チームを支えた名波や藤田の出番が減り、藤田が名古屋への移籍を決断する。にもかかわらず、若手へシフトするのか、ベテランでいくのかがはっきりせず、山本監督は2006年ドイツワールドカップ直前に突如として辞任してしまう。このショックを彼らは今も引きずっている。

この後もよくなかった。ブラジル人のアジウソン監督が強引な若手への世代交代を推し進めた結果、名波と服部年宏(現東京V)が東京ヴェルディへ、福西がFC東京へそれぞれ移籍。過去の伝統を知るのは中山、田中誠、鈴木秀人くらいになってしまった。そのアジウソンも昨季途中に解任され、内山監督が就任したのだが、今季は内山監督の力も及ばなかった。クラブとしては足掛け5年にわたって軌道修正をしようと懸命にもがいたが、菊地の不祥事など計算通りに行かないことが多すぎて、依然として迷走を続けている状態だ。そしてこの9月、90年代前半にチームの骨格を作ったヨハン・オフト監督を呼び戻したわけだが、3試合消化して、いまだ結果が出ていない。

23日のFC東京戦を見ていても、チーム全体が何かに怯えているような印象だった。今季最大の課題である守備の乱れから開始14分にカボレに1点を奪われると、ズルズルとラインが下がり、サイドを突かれるようになる。3-5-2システムの弱点が外だと分かっていても、そこをしっかりフタすることができず、カバーリングも遅れてゴール前がガラ空きになってしまう。前半終了間際の佐原秀樹の2点目、後半16分のオウンゴール、24分の石川直宏の4点目はいずれも外を崩されたものだった。

「ボランチがズレてカバーに入るのが遅い。僕ら3バックはカボレと平山相太をカバーするので精一杯。ボランチのズレを徹底しないとサイドを使われてやられる。コンパクトにして連動しながらプレスをかけていかないと守備がまとまらない」と、負傷退場した田中誠もかなりの苛立ちをのぞかせた。彼は常勝時代を知る数少ない生き証人の1人だ。そんな選手からは、今の磐田が「意思統一のない集団」に見えるようだ。「この状況だから精神的にみんなが一緒になれていないところがある。前向きになれないとどうしようもない」と苦言を呈した。

中山に至ってはさらに厳しい。「オフトが来たからどうとかじゃなくて、自分たちが何とかしていくしかない。オフトが言っているのが最低限のこと。動いてボールを追いかけなければ何も始まらない。でも今のチームはちょっと状況が悪くなるだけで足を止めてしまう。出したら動くという基本さえできていない。まさに負のスパイラルですね」と神妙な面持ちで吐き出していたのだ。

その一方で、カレン・ロバートが「自分たちの形がはっきりしていない」と戸惑いを露にしている。どうやら、今の磐田は、強かった時代を知る選手たちと、そうでない選手たちのスタンダードが違いすぎるようだ。カレンや前田遼一、駒野友一ら今の中心選手たちが自ら答えを導き出していけるようにならなければ、チームは変わらない。

ここで踏みとどまれるか否か。それを左右するのはオフトでも、中山や田中らベテランでもない。今の主力たちの頑張りだ。彼らが自覚を持って戦い抜かなければ、このまま降格ゾーンから抜け出すことはできないだろう。磐田をJ加盟時から見続ける取材者の1人は「降格はやむをえない」と話していたが、本当にそうなってしまうのか…。現状を打破するきっかけを作りたいところだ。

元川 悦子

もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。