某サッカー専門誌で「日本サッカー協会の川淵三郎会長の6年間を採点しろ」という企画が舞い込んだ。

選手の採点なら、なんとなく基準みたいなものがある。だが、会長の採点というのは前代未聞。なんの基準もないのだ。思案の末に、「平均より少し低めの採点」にしようと思って、「30点」と書いて送った。「まあ、だいたい平均点は50点くらいだろう。新聞記者たちは、いろいろな思惑があるから、悪い点は付けないだろうから……」と想像したのである。ところが、出来上がった雑誌を見たら、平均ははるかに上。数人のフリーランスのジャーナリストが30点を付けていたが、新聞記者たちは軒並み80点代だった!

僕も、川淵さんは日本サッカーのために大いに貢献した人だと思っている。 ただし、主な貢献は会長になる前のことだった。

まず、1980年に強化部長だったころ日本代表の若返りを図ったこと。若手を多く起用してチームを作ろうとしていた日本代表監督の渡辺正さん(メキシコ五輪で選手だった人)がクモ膜下出血で倒れ、監督交代を余儀なくされたのだ。当時の協会幹部は、古い世代の(メキシコ五輪のときにコーチだった)平木隆三さんを監督にしようとしたらしい。だが、川淵さんはこれに反対し、自らが暫定監督となったのだ。最初からいずれは西ドイツ留学中だった森孝慈さんに監督の座を譲るつもりだったという。そして、その年の末に香港で開かれたスペイン・ワールドカップ予選ではさらに若い選手たち(金田喜稔、木村和司、風間八宏、戸塚哲也、都並敏史……)でチームを作り、その後、予定通り森さんに監督の座を譲り、このチームが1985年のメキシコ・ワールドカップ予選で最終予選まで行くことになった。

川淵さんは、1990年代の初めにはJリーグを創設した。これは、誰でも知っている話だろう。もちろん、プロ化の計画を練り上げたのは他の人たちだったかもしれないが、協会幹部の中には「時期尚早論」が強かったのを、かなり強引に実現してしまったのは川淵さんだった。それと同時期に技術委員長として日本代表史上初めての外国人プロ監督として、ハンス・オフトと契約したのも川淵さんだった。このときも、協会幹部は「コミュニケーションの問題」などを挙げて、賛成ではなかったのを強引に口説き落としたのだそうだ。

この3つの貢献には共通点がある。 それは、いずれの協会幹部の意見に対して、堂々と自説を述べて認めさせてしまう強引さだ。

その川淵さんは、2002年に協会会長となってからは持ち前の行動力と自己顕示欲から、自らが先頭に立って何事も決めていく「上意下達」の方法論で協会を運営した。その結果、協会はイエスマンばかりの組織にしてしまったのだ。かつて、川淵さんは協会幹部に対して強引に自らの意思を認めさせて、いくつもの大仕事をしてきた。その川淵さんが、協会を下から意見を言うことが難しい組織にしてまったのだから皮肉なものである。

さて、まもなく協会の第11代会長が決まる。新聞や雑誌などの報道によると、有力なのは副会長の小倉純二さんとJリーグ専務理事の犬飼基昭さんの2人のようだ。いずれになるか、僕にはまだ分からないが、このお2人には「経営に詳しいサッカー人」という共通点がある。これまでの歴代の会長を見ると「財界人」と「元名選手」の2つのタイプが存在した。

かつては、初代の今村次吉さんをはじめ、サッカーに理解のある財界人を会長に担ぎ出すことが多かった。実務はもちろんサッカー界の人物が行うのだが、トップに有名財界人を置くことによって世間の信用が得られる。その結果、たとえば銀行からの借り入れを容易にすることができたのだ。いちばん最近の「大物財界人会長」は第5代の平井富三郎さん。専務理事の長沼健さんとともに、協会の財政立て直しに大いに貢献した。「元名選手の会長」の最初の例が第4代の野津謙(のづ・ゆずる)さん。元東京帝大の選手で日本代表にもなったことのある野津さんは医師としても有名な方で、1955年から20年以上も会長を務めた。

最近では、長沼さん、岡野俊一郎さん、川淵さんと、元名選手・名コーチの会長が続いている。長沼さんと岡野さんは、東京、メキシコの2回のオリンピックで監督、コーチを務めた人たち。川淵さんは、東京オリンピックではアルゼンチン戦で同点ゴールを決めた選手だった。その伝でいけば、次の会長は釜本邦茂さんということになるのだろうが……。

小倉純二さんは、選手経験のない人だ。サッカーが好きで古河電工に勤めながらサッカー部を手伝っており、経理の知識を見込まれてサッカー部の運営に深く携わるようになり、協会副会長、FIFA理事にまでなった。サッカー人としては傍流だが、経営の専門家ということになる。犬飼さんは、三菱の選手として日本リーグにも出場したことのある一流選手だが、代表歴はなく、長沼さんや川淵さんのような有名選手ではない。だが、欧州三菱自動車の社長を務めるなど、経営者としてはプロである。

日本サッカー協会は、今では年間150億円以上の予算規模に成長し、社会的にも責任のある大きな組織になった。サッカーにさえ詳しければ会長が務まるという時代ではない。また、かつてのように名前だけの会長で、会議のときだけ協会に出てくればいいという時代でもない。そうなれば、サッカーにも知識が深く、同時に経営者としての能力がある人物は、これからの会長に相応しいと言えるだろう。そういう意味で、今回、小倉、犬飼両氏の名前が出てきたのは偶然ではない。

もちろん、新会長人事にはいろいろな噂が飛び交っている。新会長になっても川淵前会長(名誉会長)の影響力は残る(=院政である)とも言われている。しかし、実際に新会長が就任してしまえば、そう簡単に何年も院政を続けられるものでもないだろう。就任の経緯に多少疑問は残っても、小倉純二さん、あるいは犬飼基昭さんが会長になったら、それはそれで時代の流れというものではないだろうか。

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後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授