UEFAチャンピオンズリーグで、グラスゴー・セルティックがACミランを破った。どちらも中盤でミスを繰り返した平凡な試合が1−1のまま幕を閉じるかに思われたその瞬間にクライマックスが用意されていた。その起点となったのが中村俊輔。ドリブルでしかけた直後に短いパスを出した。ほんのちょっとのスペースに、しかも、緩やかなボールを送り込んだ意外性。そして、そのパス1本によってミランの守備陣が突然パニックに陥り、逆にそれまではミスを繰り返していたセルティックの選手が集中し、そして、決勝ゴールが生まれた。

1本のパスが両チームの選手の心理に影響を与え、スタジアム全体の空気を変えた。こういう「空気が変わった感覚」というのは、スタンドで生で観戦していると敏感に感じ取れるものだが、ふつうテレビの映像からはなかなか伝わってこない。だが、このときはテレビ画像から(しかも、僕は結果を知ってから録画で見ていた)感じ取ることができた。

僕は、ディエゴ・マラドーナを思い出した。彼がたった1本のパスですべてを変える瞬間を、僕は何度も目撃していたからだ。その瞬間、中村俊輔はかつてディエゴ・マラドーナがしていたのと同じように神と交信することができたのだろう。

個の試合では、その直後にもう一つの驚くべき場面があった。勝ち越し点に沸くスタンドから1人の男が飛び出して、ミランのGKジーダをからかうように顔に一発お見舞いした場面だ。ジーダは怒って、一瞬男を追おうとしてが、すぐに顔面に手を当ててゴール前に倒れ込む。そして、担架に乗って退場してしまうのである。

何度もリプレーの映像が出たが、男の「一撃」がジーダをプレー続行不可能に追いやるほどの衝撃があるもののようには見えなかった。で、僕はこんどは「ロハス事件」を思い出したのである。

「ロハス事件」と言っても、ご存じない方も多いだろう。それは1989年9月のイタリア・ワールドカップ予選での出来事だった。リオのマラカナンで行われていたブラジル対チリの試合は1−0で地元ブラジルがリードしていた。残り時間も20分ほど。第1戦も敗れているチリにとっては絶望的な状況だった。そんなとき、チリのGKロベルト・ロハスのそばに発炎筒が落下したのだ。すると、ロハスはその場に倒れ、担架で運び出される。そして、ロハスは頭から出血していた。

チリは、試合の続行を拒否し、第3国での再試合を要求する。ところが、その後日本の「サッカーマガジン」と契約していたアルゼンチン人カメラマンの撮影した写真によって、発炎筒はロハスには当たっていなかったことが証明される。頭の出血は、ロハス自身かチームドクターが隠し持っていたナイフで自ら傷つけたものだったのだ。FIFAはチリを失格とし、チリは次回1994年ワールドカップ予選への出場資格も奪われ、ロハス自身も永久に選手資格を剥奪された。

チリのスパイかなんかが発炎筒を投げ込んだのならともかく、発炎筒はブラジル人の女性が投げ込んだものだった。つまり、ロハスも、チリ・チームも、そこで発炎筒が投げ込まれるということをまったく予想できない状態だったのだ。それなのに、発炎筒が投げ込まれた瞬間に、こういうトリックを思いついたわけだ。

どうして、すぐにそんなことを思いつくのか? それは、過去にも南米では同じようなことが何度もあったからなのではないだろうか……?

FIFAはチリを資格停止にしたが、翌々年の1991年のコパ・アメリカはチリで開催されたのだ。そして、その後、資格停止処分を免除されたロハスはブラジルのサンパウロFCでGKコーチの職に就いている。つまり、ヨーロッパ人にとっては許しがたいトリックプレーも、南米人から見たら、たいした問題ではなかったというわけだ。

今回のジーダの場合がどうだったのか、僕は真相についてはまったく知らない。だが、あのとき、突然倒れたジーダを見て、僕は18年前の事件を思い出したというわけである。

もし、本当にジーダが負傷していたのならACミランは提訴することになるはず。もし、ミランが提訴をしなかったとしたら、それが「ロハス事件」と同じようなトリックだったことになるのではないだろうか……。

1989年といえば、日本ではJリーグ発足やドーハの悲劇の数年前。まだアマチュアの時代であり、「ロハス事件」は日本人にとっては仰天のトリックだった。

だが、今ではJリーグの開幕からすでに15年が経過。日本の選手たちも、そうしたトリック(あるいはサッカー的発想)に少しは慣れてきているようだ。試合中の駆け引きなども、ずいぶん身についている。南米やヨーロッパに比べたら、まだまだナイーブさは残しているが、ドーハに悲劇の頃とは勝負というものに対するメンタリティーはかなり変わってきているようだ。

一瞬マラドーナを思わせる創造性豊かなパスを駆使できる日本人選手が現れたわけである。とするなら、そのうち、ロハスのようなことを試みる日本人選手も現れるのであろうか?

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後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授