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"無名監督"の18年戦争。そして最後にドイツが勝った。


試合前に予定していたキーマンを失った。
代わりに送り込んだ23番も、わずか31分で失う。
それでも、揺るがない。焦らない。
これより難しい"過去"は無数にあった。
青の10番が際どいシュートを放つ。
青の18番が際どいループを放つ。
それでも、揺るがない。焦らない。
113分。
31分に送り込んだ9番が左を切り裂く。
88分に送り込んだ19番が左足を振り抜く。
直後、黄色と黒を帯びた血は沸騰した。
待ち切れない。待ち切れない。
追加されたのは2分じゃなかったのか。
120分に予定外の"3分"が追加され、
青の10番がラストチャンスを逸す。
イタリア人が王国最後の笛を吹く。
その瞬間、"無名監督"の18年戦争は結実の時を迎えた。


"無名"と呼ぶにはいささか失礼かもしれない。
それは"蹴る"時代のキャリアにおいても。
母国のU-21代表にも名前を連ねていたし、
母国のリーグでも"蹴る"ことを生業にして、
1部で7ゴール、2部で81ゴールという
十分な数字を残している。
フランツ・ベッケンバウアー。ベルティ・フォクツ。
ルディ・フェラー。ユルゲン・クリンスマン。
比較の"蹴る"時代が輝き過ぎているだけだ。
スイスでもプレーした17年の"前史"は
凡庸と非凡で揺れる境界線の針を
後者に傾けるだけのものでは間違いなくあった。


ただ、"蹴る"時代が終わり、
すぐさま足を踏み入れたヨアヒム・レーヴの"後史"は
凡庸と非凡で揺れる境界線の針を
すぐさま後者に著しく傾ける。
スイスのフラウヘン・フェルトというクラブで
プレイングマネージャーとして"教える"側へ転進したレーヴは、
さらに1年間のアシスタントを務めた
名門シュトゥットガルトで監督に指名される。
時は1996年。36歳の大抜擢。
向けられた懐疑、好奇の視線は結果で遮る。


クラシミール・バラコフ、ジオヴァネ・エウベル、フレディ・ボビッチ。
"マジック・トライアングル"を
3度のW杯を知るトーマス・ベルトルトが後方で支え、
就任1年目からリーグ戦は4位。
伝統のポカールでは、その"ポカール"を手に入れる。
一躍その名前はドイツを駆け巡った。
翌シーズンも堂々のリーグ4位。
欧州に打って出たカップ・ウィナーズ・カップのファイナルでは
ジャンフランコ・ゾラの一撃で沈んだが、それでも準優勝に輝く。
だが、野心溢れる冒険はそこまでだった。
わずか2年でその任を解かれる。
理由は一言で言えば「有名ではないから」。
"無名監督"の憤りは察して余りある。
トルコ、ドイツ、トルコ。失意の流浪を経て、
復活を遂げたかに見えたオーストリアでは、
リーグ優勝に導いたクラブが直後に財政破綻で消滅した。
回らない歯車。
そんな堪え難きサイクルの中、レーヴに声が掛かる。
しかも母国のナショナルチームから。
託された職務は"有名監督"のアシスタントだった。


時代の追い風も重なる。
世界での惨敗を受け、国の風向きが変わった。
ラルフ・ラングニック。ミヒャエル・スキッベ。クリストフ・ダウム。
"無名選手"だった彼らは、
指揮官としての能力でその名を轟かせる。
"有名"か、"無名"かでなはく、"有能"か"無能"か。
"有名"で"有能"なユルゲン・クリンスマンとタッグを組み、
地元開催の世界で3位を勝ち取ると、
指揮権はレーヴに譲渡される。
理想的な環境を得た"無名監督"の新たな冒険は、
2006年にその幕を開けた。


時代の追い風も重なる。
世界での惨敗を受け、国の風向きが変わった。
疎かだった育成の見直しは、着々と成果を生み出す。
欧州でも世界でも、若きゲルマンは躍動する。
上と下も有機的に繋がった。
そこにあり、そこから育った才能はレーヴの下に集う。
理想的な環境を得た"無名監督"の新たな冒険は、
世界の耳目を集めるものとなった。


レーヴの率いしゲルマンは進む。"4"までは確実に。
ただ、"1"に手が届かない。
スイスとオーストリアでは最後の"2"で敗れ、
南アフリカでは"4"で無敵艦隊に沈められる。
ウクライナとポーランドでは、
やはり"4"でアズーリの悪童に引導を渡される。
世界と欧州の"2"と"4"だ。
大いに誇っていい。
それでも、当然求められる。"1"を頂く日を。
最たる"有名"、フランツ・ベッケンバウアーが
3度目をもたらしてから24年。
"無名監督"だった男は、4度目に挑む。
欧州にとって不毛の南米大陸。
王国がそのチャレンジの舞台となった。


"欧州のロナウド"を封じ、
伝統の13番が3発を叩き込む。
"有名"で"有能"なユルゲン・クリンスマンとの対峙は、
最少得点差でかつての指揮官を超えてみせた。
苦しめられたアルジェリアも延長で振り切る。
カナリアとの2度目の激突は、
世界を震撼させた7度の歓喜で
王国のすべてを奈落の底に叩き落した。
"1"を懸けて最後の最後に再会したのは
24年前と同じアルゼンチン。
あの時と同じ、10番を背負いし"神の子"を擁す。
絡み合う因縁。
"無名監督"の戴冠にふさわしい環境が整った。


試合前に予定していたサミ・ケディラを失った。
代わりに送り込んだクリストフ・クラマーも、わずか31分で失う。
それでも、揺るがない。焦らない。
これより難しい"過去"は無数にあった。
青の10番が際どいシュートを放つ。
青の18番が際どいループを放つ。
それでも、揺るがない。焦らない。
113分。
31分に送り込んだアンドレ・シュールレが左を切り裂く。
88分に送り込んだマリオ・ゲッツェが左足を振り抜く。
直後、黄色と黒を帯びた血は沸騰した。
届く。ようやく"1"に届く。


待ち切れない。待ち切れない。
追加されたのは2分じゃなかったのか。
120分に予定外の"3分"が追加され、
24年前を重ねられた青の10番がラストチャンスを逸す。
ニコラ・リッツォーリが王国最後の笛を吹く。
その瞬間、ヨアヒム・レーヴの18年戦争は結実の時を迎えた。


これは"継続"の勝利でもある。
4年のスパンで判断しないという。
既に昨年、契約は更新されていた。
期間は2年後の欧州まで。
かの国に"4年"というスパンはもはや存在していない。
32の指揮官が王国に集ったが、
最も長くその座に就いてきたのは
ゲルマンの指揮官その人だった。


もし、"無名"を理由に職を失くした彼へ今、
ここから呼びかけることができるなら教えてあげよう。
「"無名"が"有名"を凌駕する日は来る」と。
「"無名"が勝利する日は来る」と。
ヨアヒム・レーヴ。54歳。
理想的な環境を得た"無名監督"の新たな冒険は、
8年の時を経て、世界の一番高い所へ辿り着いた。
そして、それは世界にとっても、
一つの理想が証明された瞬間でもあった。


土屋

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"10失点"の現実。カナリアは忘れたのか、知らなかったのか。


6点の差は正確ではなかったかもしれない。
しかし、3点の差は正確だったかもしれない。
帰還したキャプテンが11番に手を掛ける。
個人の過失ではない。集団の過失だ。
カーリーヘアの4番が必死にクリアする。
ボールは相手に届き、突き刺された。
簡単に大外を回られる。足は動かない。
24歳のクロスを23歳に叩き込まれた。
4日前はわずかに1度揺らせたネットも、
とうとう揺らせない。
180分間で10度の失望を国民に与え、
2つの敗北を重ね、それ以上に現実を突き付け、
王国は王国を去った。
栄華を極めた"カナリア"は、
その"唄"を忘れたのか、あるいは知らなかったのか。
鮮やかなそのイエローは7月の闇に色褪せた。


ベンチの前で首をすくめる。
ベンチの前で両手を広げる。
何も施せない。何も与えられない。
12年前の横浜で王国に熱狂をもたらした指揮官は
この180分間をどう感じただろう。
ただ、この偉大なる"フェリポン"を誰が責められよう。
前任者の解任を受け、
再びセレソンへ帰ってきてから、
彼には1年半の時間しかなかった。
幸か不幸か開催国であるため、真剣勝負の場は限られる。
ほとんどの試合に"親善"の二文字が付く。
1年前に唯一と言っていい真剣勝負で国民が感じた信頼さえ、
あるいは足枷であり、重荷となっていたはずだ。


このサイクルは深刻だった。
1998年。フランス。
連覇を義務付けられた彼らは、
28年前に世界を制した指揮官を担ぎ出す。
結果は準優勝。
ロナウドに始まり、ロナウドに終わった。
2006年。ドイツ。
連覇を義務付けられた彼らは
12年前に世界を制した指揮官を担ぎ出す。
結果はベスト8。
ロナウジーニョに始まり、ロナウジーニョに終わった。
2010年の挑戦は、世界を頂いた若き闘将に託され、
出された一定の結果はサイクルを一転させるかに思えた。
ところが、結局変わらない。
2014年。ブラジル。
開催国での優勝を義務付けられた彼らは
12年前に世界を制した指揮官を担ぎ出す。
結果は惨憺たる4位。
ネイマールに始まり、ネイマールに終わった。
過去の栄光を知る指揮官の再登場に、
すべてを背負ったクラッキの重圧。
この"学ばない"サイクルは深刻だった。


他方、その"泉"は"泉"でなくなりつつある。
才能の集いし、いや、生まれし国。
それが日本のような極東でも、
果てはフェロー諸島でも、
カナリア色のDNAを有した"蹴る人"は
それを生業とするために世界を探した。
例えば15歳で離れた母国へ赤と白のチェックを纏って帰還した
エドゥアルド・ダ・シルヴァのように。
例えば18歳で離れた母国へエンジを纏って帰還した
ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラ、"ペペ"のように。


一転、富める時代が訪れる。
世界を探さずとも、生業は自国で完結する。
たとえ"蹴る人"にならずとも。
あくまで聞いた話だが、
"蹴る子供"の環境も大きく変化したと。
その舞台は"道"から"芝生"へ変化したと。
子供が大人にやり込められ、
大人が子供に出し抜かれ、
すべてが終わったら皆で語らう日常は
姿を消してしまったのだろうか。
ただ、間違えてはいけない。
富めることは決して否定されるものではない。
富めることは多くの民に幸福をもたらす。
ただ、"蹴る人"たちにとって
富めることが果たして幸福だったのかどうか。
それは、まだその答えを出す時期ではないかもしれない。


一方で兆候は窺える。
2013年。アラブ首長国連邦。
20歳以下の煌く才能が集結する世界大会。
そこに5度の優勝を誇るカナリア色のユニフォームはいない。
アルゼンチンの地で負けたからだ。しかも完膚なきまでに。
ペルー、ウルグアイ、エクアドル、ベネズエラ。
すべての後塵を拝し、地域の最下位で弾け飛んだ。
それまで20歳以下の世界で
最も勝利し、最もゴールを挙げていた
あのブラジルが単純に力で劣ったのだ。
しかも、世界ではなく南米で。
屈辱を味わったのは、
"道"での勝負を知らずに育った若駒たちだろうか。


3点の差は正確だったかもしれない。
この日のオランダは力強く、上手かった。
間違いなくカナリア色の11人よりも。
11番に比肩する"個"は見当たらなかったし、
9番に比肩するストライカーも見当たらなかった。
最後に交替で投入されたのは第3GKだ。
23人の選手を使い切り、試合にもきっちり勝ち、
3位の座も手に入れる。
ほとんどすべてを持っていかれた。
采配を振るった指揮官の違いも、そのまま点差に現れた。
3点の差は正確だったかもしれない。


王国が語り継いできたカナリアの"唄"を
この日の彼らが奏でることはなかった。
その"唄"の語り継がれてきた場所が
もし"芝生"ではなく"道"だったのであれば、
彼らは世界の誰もが聞き惚れたその"唄"を
忘れてしまったのではなく、知らなかったのではないだろうか。
ただ、間違えてはいけない。
富めることは決して否定されるものではない。
富めることは多くの民に幸福をもたらす。
ただ、"蹴る人"たちにとって
富めることが果たして幸福だったのかどうか。
それは、まだその答えを出す時期ではないかもしれない。


それでも、できることはある。
忘れたのではなく、知らなかったのならば
最初から教えればいい。
きっとまだその"唄"を忘れていない
"蹴っていた人"は王国に息衝いている。
教える側が謙虚さを持ち、
教えられる側が謙虚さを持てば、
きっとその"唄"の調べは帰ってくる。
6点の差は正確ではなかったかもしれないが、
6点の差を生み出す下地は確実にゲルマンにあった。
強く強く打ちのめされた経験を経て
教える側が謙虚さを持ち、
教えられる側が謙虚さを持った結果が
おそらくはあの差を積み上げた。


歴史は結果を保証しないが、
結果は歴史を保証する。
誰よりも世界で結果を残してきた。
彼らしか持ち得ない"楽譜"は必ず国民に宿っている。
忘れたのではなく、知らなかったのならば
最初から教えればいい。
世界は再びカナリアの"唄"を聴く日を待っている。


土屋

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継承された"14番"。そして最後のマラカナンへ。


食らい付く。とにかく食らい付く。
一度標的にされたら、自由は諦めざるを得ない。
食らい付く。とにかく食らい付く。
一度標的にされたら、逃れることは困難を極める。
"赤と青"の世界一優雅と称される集団にあっても、
"水色と白"の世界屈指と言われる技巧派集団にあっても、
その姿を見間違えるはずはない。
この日も、とにかく食らい付く。
オレンジの最重要人物。11番は見極められた。
終盤になればなるほど集中力は増す。
90+1分。抜け出した11番を寸前で止める。
96分。えぐった11番をきっちり止める。
117分。11番に体を投げ出しファウルを戴く。
119分。11番にタックルを見舞って機会を潰す。
世界にはまるで2人だけが存在しているかのように、
その対峙は苛烈を極める。
その時、水色と白の"14番"は
かつてのそれを超えていたのかもしれない。


才能を見逃さない国は気付く。
2003年7月16日。
ハビエル・アレハンドロ・マスチェラーノは
セレステ・イ・ブランコにデビューする。
19歳と1ヶ月。決して珍しい年齢ではない。
ところが、このデビューは順序が逆だった。
順序が逆とは?
実はまだ所属していたリーベル・プレートで
トップチームにデビューしていなかったのだ。
17歳以下の"世界大会"と
20歳以下の"世界大会"で続けて4位になった
"弟"のセレステ・イ・ブランコ。
この両方で際立った彼を、
時の指揮官マルセロ・ビエルサは手元に呼び寄せる。
偉大なるディエゴ・"チョロ"・シメオネを失ったチームに
新たなピースは見事に合致した。


そこからの活躍は目覚ましい。
リーベルでもデビューを果たした数ヵ月後。
マスチェラーノはコパ・アメリカに臨む
セレステ・イ・ブランコに招集される。
しかも、主力として。
セミファイナルとファイナルを含む
5試合にフル出場を果たし、準優勝に大きく貢献する。
もはや、その20歳の存在は欠かせないものになりつつあった。


その2週間後。
マスチェラーノはオリンピックへ臨む
セレステ・イ・ブランコへ招集される。
当然、主力として。
全6試合にフル出場を果たし、金メダルに大きく貢献する。
その間、1つの失点も許さず。
もはや、その20歳の存在は欠かせなくなった。


その2年後。
マスチェラーノはワールドカップへ臨む
セレステ・イ・ブランコに招集される。
当然、主力中の主力として。
全5試合にフル出場を果たすが、
"大人の世界"は高く険しい。
粘るメヒコは振り払ったが、粘るゲルマンは振り払えない。
結果として負けは記録されず、
引き分けの末のロシアンルーレットでドイツを去る。
"チョロ"もそれを打ち破れなかったベスト8という壁が、
マスチェラーノにも立ちはだかった。


その2年後。
再びマスチェラーノはオリンピックへ臨む
セレステ・イ・ブランコへ招集される。
今度は、年長者として。
全6試合にフル出場を果たし、連覇に大きく貢献する。
アルゼンチンの歴史上、
五輪の舞台を2回続けて制した者はその前にいない。
母国に自身の名を強く刻んだこの大会から、
マスチェラーノの背中には"14番"が定着していく。
それは"チョロ"がセレステ・イ・ブランコを去ることになる
極東の祭典で付けていたそれと同じ番号だった。


世界は2年ごとに檜舞台を用意する。
再びマスチェラーノはワールドカップへ臨む
セレステ・イ・ブランコへ招集される。
今度は、主将として。
4試合にフル出場を果たすが、
"大人の世界"はかくも高く険しいものか。
同じメヒコは一蹴したが、同じゲルマンに一蹴される。
奪ったゴールは0。奪われたゴールは4。
自らに腕章を託した"神の子"は
ケープタウンの夜空を仰ぐ。
その"神の子"が最後に打ち破ってから20年。
ベスト8という壁の向こうは、遥かに霞んで見えた。


次の4年は長い。
マスチェラーノは新たな冒険を始める。
ケープタウンを後にすると、
"赤と青"の世界一優雅と称される集団に加わった。
懐疑的な声は、時間こそ掛かったものの
その力強さで黙らせた。
スペインを頂き、欧州を頂いた。
4年ぶりの世界へ向けて、最高の助走を付けるべく、
最後の1シーズンへ挑む。
"赤と青"か、"白"か。支配者はいずれかのはずだった。


刺客は"白"と同じ街からやってきた。
纏うは"赤と白"。率いるはあのディエゴ・"チョロ"・シメオネだ。
欧州ではクォーターファイナルで屈し、
スペインでは最後のカンプノウで屈する。
"赤と青"でも"水色と白"でも
10番を任された"神の子"と共に失意を味わう。
おそらくは想像もしていなかった。
それでも、これは"チョロ"から与えられた
試練という名の壁なのかもしれない。
「俺を超えてみろ」と。
「俺を超えていけ」と。


三たびマスチェラーノはワールドカップへ臨む
セレステ・イ・ブランコへ招集される。
今度は、覚悟の"14番"として。
4試合にフル出場を果たし、
三たびベスト8の壁と対峙する。
8分に先制したが、残された時間は長い。
欧州の"赤い悪魔"も必死に牙を剥く。
世界の"4"が懸かる。悪魔だって必死だ。
潰す。潰す。未然に。事後に。
"赤い悪魔"にベスト8のそれより高い
"14番"の壁が立ちはだかる。
イタリア人の笛が鳴り、残された時間がようやく終わる。
幻影は消えた。
"ベスト8"のそれも、"チョロ"のそれも。
背負いし"14番"は間違いなく
マスチェラーノの名の下にあった。


90+1分。抜け出した11番を寸前で止める。
96分。えぐった11番をきっちり止める。
117分。11番に体を投げ出しファウルを戴く。
119分。11番にタックルを見舞って機会を潰す。
オレンジの最重要人物を決して離さない。
その執念は常軌を逸していた。
頭を打ち付け、足を削られ、
それでもひたすら食らい付いた。
"14番"は緑の芝生の上に立つ22人の
誰より真摯で、誰より愚直で、誰より美しかった。


120分間は消し切った。
その後の11メートルには、おそらく関与しない。
あとは仲間を信頼するだけだ。
ケープタウンで共に泣いた守護神が
オレンジを2つも阻む。
ケープタウンで共に泣いた我々の11番が
スポットに向かう。
渾身の強振がオレンジを貫く。
その瞬間。
"14番"は堪え切れなかった。
堪える必要もない。
とうとう夢にまで見た"大人の世界"を
制する権利を得たのだから。


"ベスト8"は超えた。
おそらくは、水色と白に限れば"チョロ"も超えた。
最後に残されたのは2度倒されしゲルマン。
きっと今まで挑んできた中で、
最も大きな"壁"に対峙する。
そして、その向こうには
きっと今まで手にしてきた中で、
最も大きな歓喜が待っている。
それでも"14番"は変わらない。
食らい付く。とにかく食らい付く。
それが街のグラウンドであっても、"大人の世界"のマラカナンであっても。


土屋

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"10番"の不在。王国が王国に倒れた日。


夢を見ているのか、あるいは夢を見ていたのか。
それすらももはや区別は付かない。
揺らされ、揺らされ、揺らされる。
奪われ、奪われ、奪われる。
わずか30分間で未来への扉はあっさり閉ざされた。
観衆が泣き、スタンドが泣き、国民が泣く。
64年ぶりの再会を待ち侘びていた
悠久のマラカナンへ辿り着くことすら許されない。
探しても探しても、"10番"はいない。
7度の絶望と、1度の意地を経て、
王国は王国で無残にも打ち砕かれる。
その90分間にここまでカナリアを牽引してきた"10番"の姿は
どこにも見当たらなかった。


ただの"10番"ではない。
カナリア色のそれは世界のそれであり、時代のそれだ。
想像もできない喜びと、想像もできない重圧が同時に襲う。
初めてその番号が固定されたスイスから
常にカナリア色の"10番"は無数の目へ晒されてきた。


スイスではホセ・ラザロ・ロブレス
ピンガ"が背負う。
4年前の悪夢を払拭すべく、
初戦で2つの歓喜を王国へもたらす。
しかし、次の青きバルカンからゴールを奪えなかったアタッカーへ
指揮官のゼゼ・モレイラは冷徹なジャッジを下した。
9番、10番、11番。
それまで5トップの定位置を与えられていた3人は
座って準々決勝が開始されるキックオフの笛を聞く。
当時の世界に"交替"という概念はない。
座って90分間を迎えれば、座って90分間を終える。
ハンガリーに敗れ、王国初の"10番"は失意の元にスイスを去った。


スウェーデンではエジソン・アランテス・ド・ナシメント。
言わずと知れた"ペレ"が背負う。
弱冠17歳。
ただし、伝統を誇るサンパウロ州選手権の得点王。
既に普通の17歳ではない。
3試合目で"10番は"ようやく登場したものの、
おそらくは年齢と背負う番号の不均衡が目を惹いた。
ところが、突如として世界はその価値を理解する。
ウェールズから挙げた一発は序章の序章に過ぎない。
準決勝の相手はフランス。
ジュスト・フォンテーヌが1つのゴールを奪う間に、
ペレは3つのゴールを奪ってみせた。
決勝の相手はスウェーデン。
地元優勝を目論む北欧の巨人から、
ペレは2つのゴールを奪ってみせる。
初めて世界を手に入れたカナリアの"10番"は、
やはり普通の17歳ではなかった。


チリとイングランドでは失意が"10番"を包む。
前者は2試合目の途中で負傷。
"交替"という概念はまだないため、
ピッチにとどまったが、以降は離脱を余儀なくされる。
2度目の世界一は見守るしかなかった。
後者は1試合目で負傷。
チームの苦境に登場せざるを得なくなった
3試合目では執拗なコンタクトを受け、
試合中にもかかわらず離脱を余儀なくされる。
世界を失ったカナリアを王国は責める。
"10番"はその意欲を失いつつあった。


メキシコではエジソン・アランテス・ド・ナシメント。
言わずと知れた"ペレ"が甦る。
"10番"でも不思議のない忠臣が、
"10番"と共に華麗なサンバを踊る。
リベリーノが3点、ジャイルジーニョが6点、トスタンが2点。
ペレが3点でも余力を持って最後の1試合へ進む。
アズーリとのファイナルは、やはり"10番"が舞った。
17分。通算で12度目のゴールを母国へ捧げる。
前半の内に追い付かれたが、焦りはない。
ジェルソンとジャイルジーニョで突き放し、
トドメは腕章を巻くカルロス・アウベルト。
豪快なラストゴールを演出したのは、やはりペレだった。
"10番"に頼らず、ここぞで"10番"に頼ったカナリアは
3度目の世界一に輝く。
しかし、すぐさま手に入るかに見えた4度目は
王国が送り出す"10番"をことごとく避けて通る。


西ドイツではロベルト・リベリーノが背負う。
3つのゴールを陥れ、奮闘するが孤軍。
7試合で6得点では頂けない。
最後はポーランドにも敗れ、4位に終わった。
アルゼンチンでは再びロベルト・リベリーノが背負う。
とはいえ、もはやレギュラーではない。
カナリアが刻んだ630分間の38分間のみに現れ、
優勝に沸く隣国を3位で去った。


スペインではアルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
"ジーコ"が背負う。
ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ。
12年前と同様に"10番"でも不思議のない忠臣を従え、
世界がカナリアにかつてない程の期待を寄せた。
ジーコも4つのゴールでファイナルへ王手を懸ける。
立ちはだかるは12年前に倒したはずのアズーリ。
立ちはだかるはパオロ・ロッシ。
"黄金の子"の3発に沈む。
2度目のメキシコでも"ジーコ"が背負うも、
負傷が祟って交替出場に限られる。
フランスとの準々決勝も
120分間の後に制した11メートルを、
90分間の中で制していれば次へ進んでいた。
結果、120分間の後にその道を絶たれる。
"白いペレ"をもってしても世界は頂けない。


イタリアではパウロ・シーラス・ド・プラド・ペレイラ。
"シーラス"が背負う。
アメリカではライー・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラ。
"ライー"が背負う。
前者はラウンド16。後者は24年ぶりの戴冠。
世界の味は天と地ほど異なる。
ただ、両者には共通点があった。
「ベンチに置かれた"10番"」という。
時代は1人のスターに頼らない流れを汲み始める。
カナリア色の"10番"は役割を終えたかのように思えた。


フランスではリバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ。
"リバウド"が背負う。
モロッコとデンマークからゴールを奪い取るが、
王国の見る目は厳しい。
世界最高のピーター・シュマイケルを打ち破った。
それだけ。
連覇に挑み、準優勝に終わった"10番"を
国民は決して認めなかった。
日韓では再び"リバウド"が背負う。
トルコに追い詰められた初戦。
終盤に与えられたPKを"10番"が沈め、勝利を掴む。
中国からもコスタリカからも奪うと、風向きが変わる。
ベルギーとイングランドから奪った時、
"10番"は"10番"としてようやく認められた。
最後の2試合は"黄色いロナウド"が
全てのゴールを叩き出したが、
"10番"の価値は変わらない。
横浜の夜に5度目の咆哮が轟く。
やはり、世界を頂くカナリアでは
"10番"が間違いなく輝くのだ。


ドイツではロナウド・デ・アシス・モレイラ。
"ロナウジーニョ"が背負う。
南アフリカではリカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ。
"カカ"が背負う。
おそらくはどちらもその時の"世界最高"として臨んだが、
どちらも1つのゴールも挙げることなく、
どちらも準々決勝の壁に阻まれる。
皮肉にも2人の"世界最高"によって、
世界を頂くカナリアと"10番"の関係は証明されつつあった。


64年ぶりに帰ってきた祭典。
ブラジルではネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール。
"ネイマール"が背負った。
東欧の赤白に"自ら"のゴールで先制を許す。
アレナ・デ・サンパウロに流れた不穏な空気は、"10番"が吹き消す。
29分。
運んで、運んで、狙った球体は、
ポストを叩いて絶叫を呼んだ。
71分。
メキシコの"10番"も外した11メートル。
触られながらも意志でねじ込んだ。
カメルーンにも2発。
チリにもPK戦の5番手で1発。
重圧を乗り越え、涙を流したカナリアの"10番"は、
冠を戴く光景を間違いなくその視野に捉えていた。


観衆が泣き、スタンドが泣き、国民が泣いた。
64年ぶりの再会を待ち侘びていた
悠久のマラカナンへ辿り着くことすら許されない。
彷徨うカナリアは屈辱を突き付けられ続け、
7度の絶望と1度の意地を経て、
無残に打ち砕かれた。
探しても探しても、そこに"10番"はいない。
そして、もしもゲルマンを倒していたとしても、
最後のマラカナンに"10番"が姿を現すことはない。
歴史は繰り返された。
やはり、世界を頂くカナリアでは
"10番"が間違いなく輝くのだ。


土屋

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120+1分の決断。名将が切った"緑"の手札。


均衡は保たれる。
均衡は崩れない。
90分が終わり、付け加えられた30分の半分も終わる。
オレンジの指揮官は動かない。
既に相手の指揮官は全ての手札を切り終えた。
延長の後半開始から前の試合のヒーローを
ようやくピッチへ解き放つ。
それでも、まだ手札はあと1枚残っている。
ロン・フラールのヘディングはケイラー・ナバスに弾かれ、
マルコス・ウレーニャの1対1はヤスパー・シレッセンが弾き出した。
ウェスレイ・スナイデルのシュートはクロスバーに弾かれた。
その時、ルイス・ファン・ハールの決断が下される。
呼ばれたのは、ピッチに立つ選手の中でただ1人
違うユニフォームを纏うことを許された、オレンジの"緑"。
120+1分、名将が最後に送り出したのはティム・クルル。
その男のポジションは、ゴールキーパだった。


ピッチの中で1人だけユニフォームの色が違う。
それはすなわち、ピッチの中には1人だけしか
存在し得ないということだ。
誰もが目指すゴールを"奪う"のではなく、
"奪われない"ことが彼らの主たる役割になる。
サッカーという競技の中で
彼らの存在は唯一にして絶対である。


クラブであれば、まだ変わることができる。
ただ、国籍であれば、容易に変わることはできない。
例えばドイツ。
オリバー・カーンとイェンス・レーマン。
例えばカメルーン。
トーマス・ヌコノとジョセフ・アントワーヌ・ベル。
例えばイタリア。
ジャンルカ・パリュウカとアンジェロ・ペルッツィ。
国籍以上に、世代は自らで選べない。
4年、8年、12年。
同じ守護神がゴールマウスに立ち続ければ、
他の守護神の行き先はベンチか、TVの前だ。
23分の3。3分の1。
狭き、狭き世界へと通じる道。
その国で"1人"という栄光は輝かしく、
その国で"1人"という責任は重い。
何百、何千、何万という守護神の"1人"。
気が遠くなる。


我が国でも、国籍と世代を選べなかった
2つの眩い才能は競った。
川口能活。1975年8月生まれ。
楢﨑正剛。1976年4月生まれ。
1歳違いの2人は奇しくも同じ1996年に初めて、
国を背負う蒼き代表に求められる。
その時まだ、この国は本当の"世界"を知らない。
そして、20歳そこそこの2人は
そのまま"世界"を独占していくことになる。


フランスは"年上"。
日本は"年下"。
ドイツは"年上"。
南アフリカは"年下"、のはずだった。
"年上"は負傷による離脱から帰ってきたばかり。
"年下"をサポートする役割が自ずと求められていた。
ところが、直前でその役割は変わる。
"年下"は"年上"と共に
さらなる"年下"をサポートする役割を求められる。
2人による独占は終わりを告げた。
以降、2人が蒼き代表のリストに
揃って名前を連ねたことはただの一度もない。
全てが終わった後で
杯を酌み交わす日は来るのだろうか。
おそらくそれは、まだまだずっと先のことだ。


その性質上、90分間の途中で
交替する可能性も限りなく低い。
無論、120分間の途中でも。
2014年のブラジルでは、一度あった。
日本が既に心を折られし後、
万雷の拍手に贈られてその守護神は現れる。
ファリド・モンドラゴン。43歳。
アメリカのベンチとフランスのピッチを知る男は、
最年長の出場者として祭典の"一部"を託された。
幸いに途中で負傷する者は誰もいない。
あの一度はブラジルにおける特別な"一度"になるはずだった。
そう。ティム・クルルがタッチライン際に登場するまでは。


冷徹に見え、その本来は温厚篤実。
指揮官はこう振り返る。
曰く「クルルには可能性を伝えていたが、
シレッセンには伝えていなかった。
彼の試合への準備の妨げになるようなことはしなかったんだ」と。
大胆にして繊細。
120+1分、名将が最後に送り出したのはティム・クルル。
最後にベンチへと下がってきたのはヤスパー・シレッセン。
伝えていなかった後者もすぐに理解した。
世界の"4"へと続くロシアンルーレットは
ようやくブラジルで出番を得た26歳に委ねられた。


1人目。セルソ・ボルヘス。
キックは右。クルルも右。わずかに届かない。
2人目。ブライアン・ルイス。
キックは右。クルルも右。渾身の左手で掻き出した。
シレッセンが吠える。
3人目。ジャンカルロ・ゴンサレス。
キックは右。クルルも右。わずかに届かない。
4人目。クリスティアン・ボラーニョス。
キックは左。クルルも左。わずかに届かない。
その全ては蹴る側の意図と合う。
一方、4人の仲間は全てゴールネットを揺らしていた。


5人目。ミチャエル・ウマーニャ。
ちょうど1週間前。
この日と同じ順番でギリシャを葬った男に、
再びその順番が巡って来る。
「決めれば終わり」は「外せば終わり」に。
その変化に男は耐えられるか。
キックは右。クルルも右。渾身の左手で掻き出した。
瞬間、シレッセンが走り出す。
誰よりも早くクルルに飛び付く。
2人の"緑"で辿り着いた世界の"4"。
いや、もう1人。
ミシェル・フォルムを忘れてはならない。
3人の"緑"で辿り着いた世界の"4"。
繋いだ"孤独のバトン"はこの日、他の何よりも輝いた。


国籍と世代を選べなかった
2つの眩い才能は競う。
ティム・クルル。1988年4月生まれ。
ヤスパー・シレッセン。1989年4月生まれ。
奇しくも同じ2011年に初めて
国を背負うオレンジの代表に求められた1歳違いの2人が、
これからそのまま"世界"を独占していくか、
今はまだ誰も知る由はない。
全てが終わった後で、
杯を酌み交わす日は来るのだろうか。
ただ、それは日出ずる国の彼らと同じく、
まだまだずっと先のことだ。


土屋

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