ジロ・デ・イタリアとは

| ジロ・デ・イタリア100周年大会 | 各賞ジャージ紹介 | レース創設の歴史 | 過去の英雄たち | 歴代チャンピオン |


PHOTO初夏のイタリアを、3週間かけて一周するジロ・デ・イタリア。1909年に開始して以来、2度の世界大戦に中断を余儀なくされながらも、今年で記念すべき100周年大会(第92回)を迎える。

ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャに先駆けて、シーズン最初に行われるグラン・ツールは、また3大ツール中で最も過酷な大会と言われている。「チマ・コッピ」「パンターニの山」と、かつて山を制した王者たちがその名を大会に刻むように、ジロを特徴付けるのは厳しい山。特にイタリア北部、 2000m級の峠が連なるドロミーティ山塊は例年、死闘の舞台となる。山での戦いはときに最終日前日まで繰り広げられる。


総合勝者の証は、ピンク色のリーダージャージ「マリア・ローザ」。ガゼッタ・デル・スポルト紙にちなんだこのシンボルカラーから「ばら色のレース」とも呼ばれるジロは、21日間の熱戦の果て、華やかなグランドフィナーレを迎える。

ジロ・デ・イタリア100周年大会

2009年は記念すべきジロ・デ・イタリア100周年大会!「世界で最も美しい広場」と呼ばれるヴェネツィアのサン・マルコ広場にてチームプレゼンテーションが行われたあと、「ヴェニスに死す」の舞台となったリド島でのチームタイムトライアルで3週間の戦いが幕を開ける。全21ステージ全走行距離3455.6。6度の山頂ゴールと2度の個人タイムトライアルが選手たちを待ち受ける。

今年のステージ地には、1909年第1回大会で使用された全8都市(ミラノ、ボローニャ、キエーティ、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ジェノヴァ、トリノ)が登場する。100年前はスタート・ゴール共にミラノであり、1990年以来ジロの最終ゴール地はミラノで固定されてきたが、2009年のゴール地はローマ。「永遠の都」が最終ゴール地を迎え入れるのは1950年以来、なんと59年ぶりだ!

もちろん、100周年コースを彩る峠も歴史ある難関揃い。チマ・コッピは第17ステージのゴール地、標高2064mブロックハウス。1967年に史上最強エディ・メルクスが制した峠であり、今年は距離こそ83kmと短いがスタートからただひたすら登るだけ、という恐ろしいステージに仕上がっている。そして5回の山頂フィニッシュの締めくくりはローマ到着の2日前、ナポリ近郊の火の山ヴェズヴィオ。おなじみの名曲「フニクリ・フニクラ」はこの山のことを歌っている。

出場選手も100年にふさわしい強豪揃い。2000年総合勝者ガルゼッリ、2001・2003年勝者シモーニ、2004年勝者クネゴ、2006年勝者バッソ、2007年勝者ディルーカに加えて、ブエルタ2勝のメンショフと昨ツール覇者のサストレも出場を表明している。・・・なにより今季復活を果たしたツール7連覇の大チャンピオン、ランス・アームストロングがジロ初参戦だ!

各賞ジャージ紹介

マリア・ローザ(総合リーダージャージ)

マリア・ローザ(総合リーダージャージ)総合タイム首位の選手に与えられるピンクのジャージ。ピンクの色は、ジロ・デ・イタリアを主催しているイタリアの全国紙「ラ・ガゼッタ・デロ・スポルト」の新聞カラーからとられている。100周年の今大会はドルチェ&ガッバーナによるデザインだ。

マリア・チクラミーノ

マリア・チクラミーノ各ステージのゴールポイント+中間スプリントポイントの総合トップ選手に与えられる紫色のジャージ。ちなみに「チクラミーノ」とはシクラメンのこと。ポイント賞。

マリア・ヴェルデ

マリア・ヴェルデ山岳ポイント総合トップの選手に与えられる緑のジャージ。山岳賞。

マリア・ビアンカ

マリア・ビアンカ1994年に消滅した新人賞が2007年から復活。1983年生まれ以降の若手を対象とし、総合タイムがトップの選手にホワイトジャージが与えられる。


レース創設の歴史

イタリアの5月をばら色に染めるジロ・デ・イタリアが産声を上げたのは、今からちょうど100年前の1909年5月13日2時53分。127人の脚自慢たちが、ミラノから、史上初めてのイタリア一周へと旅立った。2448mを全8日間でまわるレースは、ときに1ステージが400km近い距離に達する非常に過酷なものだった。

再びミラノに帰還できたのは、わずか49人。地元イタリアのルイージ・ガンアが89時間48分14秒(平均時速27.260km)で、史上初めての総合優勝を手に入れた。ちなみに参加選手127人中、123人がイタリア選手。外国人選手はフランスからの4人だけであった。あれから100年経ち、2009年大会には143人もの外国人選手が参加している。

総合リーダーの証、マリア・ローザは1931年に登場した。シンボルのピンク色はご存知、主催スポーツ新聞ガゼッタ・デッロ・スポルトの紙面の色。1886年に創刊された同紙は、1899年からピンク色の紙面を採用している。またジロ開催をきっかけに、それまでの週2回から週3回の発刊となった。日刊紙となったのは1913年から。現在の同紙は「イタリアで最も多くの人間に読まれている新聞」に成長し、ジロ期間中は多数の紙面を割いてレース内外の模様を連日報道している。

その後、2度の世界大戦に中断されながらも(1915〜18年、1941〜45年)、着実に歴史を重ねたジロは、2009年に100周年・第92回大会を迎えた。今年は22チーム・198人の選手を含む開催委員会、メディア、キャラバン隊など約2000人が、ヴェネツィアからローマへの3週間の旅に出ている。

過去の英雄たち

100周年を迎えたジロ・デ・イタリアの、最初のヒーローは20世紀初頭に活躍したアルフレド・ビンダ。史上最多5回の総合優勝(1925、1927、1928、1929、1933年)を果たしただけでなく、ステージ41勝(70年近く破られることがなかった)、1大会で12ステージ優勝、8連続ステージ優勝など数々の大記録を打ち立ててきた選手である。あまりの独占的な強さに、1930年には開催委員会から「不出場要請」を受けたほど。交換条件として優勝賞金と同額の見舞金を受け取ったビンダは、人生で唯一となるツール・ド・フランスへと挑み区間2勝を上げている。

ジロ3回優勝(1936、1937、1946年)のジーノ・バルタリと、5回優勝(1940、1947、1949、1952、1953年)のファウスト・コッピは、それぞれツール・ド・フランスでも2度の総合優勝を成し遂げているジロ史上屈指の大選手である。しかも同時代に活躍した2人は、21世紀の現在まで語り継がれるほどの激しくも美しきライバル争いを繰り広げたことでも有名だ。

1940年、チーム内のリーダーとアシストとして始まった両選手の関係は、同年のジロ期間中で急激に変化する。エースのバルタリが落車で調子を落としたおかげで自由に走る権利を得たコッピは、難関山岳ステージを制すると人生初のマリア・ローザに袖を通す。そしてわずか21歳の若さで、初めての総合優勝さえも手に入れてしまったのだ! これ以降、2人は互いに強く意識し合うことになる。ライバル心が強すぎて、レースそっちのけで相手を潰すことばかりに執心することもあったようだ。また2人のチャンピオンの戦いに、当時のイタリア世論は真っ二つに割れたと言われている。

現在のジロでは、この2人の英雄に敬意を表して、大会最標高地点を「チマ・コッピ(コッピの頂)」と名づけ、トスカーナ地方のステージを「バルタリのステージ」と呼んでいる。

コッピ vs. バルタリの影に隠れてしまいがちだが、フィオレンツォ・マーニの着実な活躍もイタリアは決して忘れていない。1948、1951、1955年の3度ジロを制した「第3の男」は、現在は「自転車の聖地」ギザッロ教会の自転車博物館長を務めている。またジロ100年の歴史で1、2を争う伝説のコースは、大雪の中で行われた1956年のモンテ・ボンドーネ。そこで後続に7分44秒もの大差をつけて単独勝利を手に入れ、さらに総合優勝も手にしたシャルリー・ゴールの鬼気迫る走りは現在まで語り継がれている。ツール5回優勝ジャック・アンクティルは1960年にフランス人として初のイタリア一周を勝ち取り(1964年にも優勝)、3大ツール全制覇を成し遂げているフェリーチェ・ジモンディは母国のグランツールでは3回の栄光を手にしている(1967、1969、1976年)。

1960年代末には、自転車界全てを独占してしまうような史上最強のチャンピオンが現れた。カニバル(人食い)と呼ばれたエディ・メルクスである。もちろんメルクスは、ジロ・デ・イタリアも自らの支配下に置いた。自らの誇るグランツール優勝11回(史上最多)のなかでも最初のタイトルが、1968年のジロだった。最終的な優勝回数は、ビンダ、コッピと並ぶ5回(1968、1970、1972、1973、1974年)。ただしメルクスにとって、イタリアでの日々はいい思い出ばかりではない。1969年は連覇達成のわずか3日前に、ドーピング疑惑でレースを追放されているのだ。あまりにも強すぎたベルギー人は「イタリア人の罠にはめられた」と涙の抗議を行ったと言う。結局、奇妙な抜き打ち検査の結果は、追放後3週間で「ネガティブ(陰性)」と出た。

メルクスの時代を経て、ジロの英雄たちの顔ぶれも国際化していく。フランス人はベルナール・イノー(1980、1982、1985年)とローラン・フィニョン(1989年)が母国ツール・ド・フランスだけでなくジロも制覇。1987年にはアイルランド人初のジロ王者にしてジロ−ツール−世界選手権の「トリプルクラウン」を成し遂げたステファン・ロッシュが、1988年にはアンドリュー・ハンプステンがアメリカ人初のマリア・ローザを勝ち取った。さらに1992年から5年間はミゲル・インドゥライン(スペイン、1992、1993年)、エフゲニー・ベルツィン(ロシア、1994年)、トニー・ロミンゲル(スイス、1995年)、パヴェル・トンコフ(ロシア、1996年)と外国人選手がばら色のレースを彩った。イタリア人の手にマリア・ローザが戻ってきたのは、1997年。以降、2008年にスペインのアルベルト・コンタドールが優勝するまで、11年間連続で地元選手が表彰台のてっぺんに登ってきた。

そして2009年現在、最後の「ジロの英雄」と言えば、やはりマルコ・パンターニしかいないだろう。1994年ジロ難関山岳ステージ2連勝で一躍トップヒルクライマーの座に駆け上がると、数々の山岳名勝負を繰り広げ、1998年にはジロ−ツールのダブルツールを成し遂げた。しかし「イル・ピラータ(海賊)」の栄光の日々は長くは続かなかった。1999年ジロでは区間4勝を挙げ、第20ステージ終了時点では2位に5分38秒という大差をつけ総合首位に立ちがなら、ドーピング陽性による突然のレース追放。その後のパンターニは決して全盛期の勢いを取り戻すことなく、2004年2月14日、34歳の若さで息を引き取った。そして稀代の山岳王を偲ぶために、2004年以降のジロはパンターニにちなんだ峠越えを行っている。

過去の歴代チャンピオン

第1回 1909年 GANNA Luigi
第2回 1910年 GALETTI Carlo
第3回 1911年 GALETTI Carlo
第4回 1912年 a squadre: ATALA
第5回 1913年 ORIANI Carlo
第6回 1914年 CALZOLARI Alfonso
(戦争のため中断)
第7回 1919年 GIRARDENGO Costante
第8回 1920年 BELLONI Gaetano
第9回 1921年 BRUNERO Giovanni
第10回 1922年 BRUNERO Giovanni

第11回 1923年 GIRARDENGO Costante
第12回 1924年 ENRICI Giuseppe
第13回 1925年 BINDA Alfredo
第14回 1926年 BRUNERO Giovanni
第15回 1927年 BINDA Alfredo
第16回 1928年 BINDA Alfredo
第17回 1929年 BINDA Alfredo
第18回 1930年 MARCHISIO Luigi
第19回 1931年 CAMUSSO Francesco
第20回 1932年 PESENTI Antonio

第21回 1933年 BINDA Alfredo
第22回 1934年 GUERRA Learco
第23回 1935年 BERGAMASCHI Vasco
第24回 1936年 BARTALI Gino
第25回 1937年 BARTALI Gino
第26回 1938年 VALETTI Giovanni
第27回 1939年 VALETTI Giovanni
第28回 1940年 COPPI Fausto
(戦争のため中断)
第29回 1946年 BARTALI Gino
第30回 1947年 COPPI Fausto

第31回 1948年 MAGNI Fiorenzo
第32回 1949年 COPPI Fausto
第33回 1950年 KOBLET Hugo
第34回 1951年 MAGNI Fiorenzo
第35回 1952年 COPPI Fausto
第36回 1953年 COPPI Fausto
第37回 1954年 CLERICI Carlo
第38回 1955年 MAGNI Fiorenzo
第39回 1956年 GAUL Charly
第40回 1957年 NENCINI Gastone

第41回 1958年 BALDINI Ercole
第42回 1959年 GAUL Charly
第43回 1960年 ANQUETIL Jacques
第44回 1961年 PAMBIANCO Arnaldo
第45回 1962年 BALMAMION Franco
第46回 1963年 BALMAMION Franco
第47回 1964年 ANQUETIL Jacques
第48回 1965年 ADORNI Vittorio
第49回 1966年 MOTTA Gianni
第50回 1967年 GIMONDI Felice

第51回 1968年 MERCKX Eddy
第52回 1969年 GIMONDI Felice
第53回 1970年 MERCKX Eddy
第54回 1971年 PETTERSON Gosta
第55回 1972年 MERCKX Eddy
第56回 1973年 MERCKX Eddy
第57回 1974年 MERCKX Eddy
第58回 1975年 BERTOGLIO Fausto
第59回 1976年 GIMONDI Felice
第60回 1977年 POLLENTIER Michel

第61回 1978年 DE MUYNCK Johan
第62回 1979年 SARONNI Giuseppe
第63回 1980年 HINAULT Bernard
第64回 1981年 BATTAGLIN Giovanni
第65回 1982年 HINAULT Bernard
第66回 1983年 SARONNI Giuseppe
第67回 1984年 MOSER Francesco
第68回 1985年 HINAULT Bernard
第69回 1986年 VISENTINI Roberto
第70回 1987年 ROCHE Stephen

第71回 1988年 HAMPSTEN Andrew
第72回 1989年 FIGNON Laurent
第73回 1990年 BUGNO Gianni
第74回 1991年 CHIOCCIOLI Franco
第75回 1992年 INDURAIN Miguel
第76回 1993年 INDURAIN Miguel
第77回 1994年 BERZIN Eugeni
第78回 1995年 ROMINGER Tony
第79回 1996年 TONKOV Pavel
第80回 1997年 GOTTI Ivan

第81回 1998年 PANTANI Marco
第82回 1999年 GOTTI Ivan
第83回 2000年 GARZELLI Stefano
第84回 2001年 SIMONI Gilberto
第85回 2002年 SAVOLDELLI Paolo
第86回 2003年 SIMONI Gilberto
第87回 2004年 CUNEGO Damiano
第88回 2005年 SAVOLDELLI Paolo
第89回 2006年 BASSO Ivan
第90回 2007年 DI LUCA Danilo
第91回 2008年 Alberto CONTADOR VELASCO



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