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ツール・ド・フランス2006

マイヨ交代

2006年08月09日

8月5日、ランディスの尿サンプルBにテストステロンが検出された。今後のランディスとの事情聴衆・処遇などに関しては、アメリカ反ドーピング機関に委ねられる。そしておそらく、2006年マイヨ・ジョーヌの持ち主も変わるのだろう。

ツール・ド・フランスに未だマイヨ・ジョーヌが存在しなかった1904年、勝者のモーリス・ガランが大会終了4ヵ月後の11月30日に失格処分を下された。暑い日中を避けて、夜にレースが行われることが常だった当時には、闇にまぎれてマキビシを撒いたりケンカをしたり……という事件がたびたび起こったようだ。そしてこの年ガランがとった手段は、「電車に乗る」。あくまでも疑惑でしかないが、こうしてガランを含む総合上位4人が大会を失格となった。

ちなみにドーピングによる首位剥奪劇は、2005年ブエルタですでに起きている。今年2月9日、EPO陽性が発覚したエラスに2年間のレース出場停止が言い渡され、同時にメンショフの繰り上げ優勝が決まった。もちろんツール103年の歴史では、ランディスの件が初めてとなる。

「自分が勝者なんだと、99%感じる」と、サンプルBの結果を受けてペレイロは述べた。マイヨ・ジョーヌを受け取ったその時に、気持ちは100%になるのだろう。ただし残念ながら、開催委員長プリュドム氏の意見は同じではないようだ。

「ペレイロが他の王者と同列に並べられることはないだろう。彼にとっても、望んだ形での勝利ではないはずだ。それに加えてどうも私が素直に称賛できないのは、あの30分のエスケープのせいなんだ。もしランディスがあの場にいなかったら、同じ展開にはならなかったはずだ、ってね」

(8月7日付 レキップ紙インタビューより)

ツール・ド・フランス2006

一大事

2006年07月28日

7月27日の午後、残念なニュースが飛び込んできた。2006年ツールでマイヨ・ジョーヌを獲得したランディスが、第17ステージ後に受けたドーピング検査でテストステロンに対する陽性反応が出たというものだ。結果を受けたUCIがフォナックに連絡し、フォナックが事実を公表した。

フランス夜8時のニュース(仏では最も重要なTVニュースの時間帯)では、国営放送・民放ともにトップニュースでこの事件を放送。開催委員長プリュドム氏の反応や、現役・引退選手のコメントを流している。またフォナック監督ルランゲ氏の母国ベルギーメディアは、監督の「信じている。ランディスは戦うだろう」というコメントをこぞって取り上げた。

最終的な判断が下るのは、サンプルBの結果が出てからだ。

ツール・ド・フランス2006

ランディス次回の登場は?

2006年07月26日

ジェットコースターのような3週間のツールを勝ち取ったランディスは、すでに水曜日からオランダのクリテリウム(興行レース)に出場中。軽く数レース走った後、母国アメリカへ帰国予定だ。アメリカでは当然のように、テレビ出演の以来が殺到しているそうだが、さらに地元ペンシルヴァニア洲は凱旋パレードも企画中!

肝心の次回の本格的レース出場は、実は大腿骨手術のスケジュール次第。もうしばらく手術をしないという決定が下されると、8月29日から開始するツアー・オブ・ブリテン(Tour of Britain)に出ることになりそうだ。

グラスゴーからスタートするこの英国一周は、最終日ロンドンでゴールを迎える。そう、2007年ツールスタート地はロンドン。その下見も兼ねて、このレース出場を考えているとか。すでにランディスの思いは、来年のツール・ド・フランスへ、そして2連覇へ飛んでいる。

ツール・ド・フランス2006

最強サポーター

2006年07月23日

「Landis 06」親衛隊。でもやっぱり、最強のサポーターは奥様とエディ・メルクス。奥様はウォーミングアップ前にゴール地へ先回りして、表彰台裏で感激の対面を。

また自らが選手時代にお世話になった元監督の息子、つまりフォナック(自分の息子アクセルも在籍)のルランゲ監督をサポートしてきたメルクスは、ランディス失墜の後にも彼の実力を心の底から信じてくれた人間のひとり。偉大なるチャンピオンが確信してくれたことで、ランディス自身も自らを信じ続けることが出来たと語る。

ツール・ド・フランス2006

憧れのマイヨ・ジョーヌ

2006年07月22日

第18ステージ出走前、大会開催委員は1枚のマイヨ・ジョーヌに選手たちのサインを集めていた。もちろん今はマイヨ・ジョーヌを着ていないランディスと、マイヨ・ジョーヌまであと12秒ながらいまだに袖を通したことのないサストレも例外ではない。彼らはどんな思いを胸に、この黄色いジャージにペンを走らせたのか。

さて、注目のTTを前に、3人のコメントは以下の通り。
ランディス「TTについては心配していない。自分のTT能力に自信を持っている」
ペレイロ「人生で最も大切なTTだ。ツールを勝ち取るため、全力を尽す」
サストレ「TTではたしかにランディス有利。しかし凱旋門にたどり着くまで、ツールは終わらない」

by Asaka MIYAMOTO

ツール・ド・フランス2006

新開催委員長プリュドム氏インタビュー(3)

2006年07月17日

ビッグネームの抜けたツール。しかし開催委員長は何の心配もしていないようです。

質問:アームストロングが去り、ドーピング問題がファンをイラつかせています。ツールにぽっかり穴が開いたりしませんか?ファンの注目度はかわらないのでしょうか?

「何の心配もしていない。大物選手がいないからって、ファンはツールを見ることをやめてしまうのだろうか?それはありえないと思う。たとえアームストロングを通してツールを発見したアメリカ人たちも、いまやツールの魅力に取り付かれていると信じているよ。だからツールは、何の心配もしていないんだ。それにメルクスが引退し、イノー、インドゥラインが立ち去った後、大きな空白が恐れられてきたけれど、いつだって新しいチャンピオンが誕生してきたしね。
私の考えでは、最も大切なのはツール・ド・フランスそのものなん。大会そのものが本質なんだ。チャンピオンたちが偉大なのは、そのツールを勝ったから。彼らが有名になったのも、ツールで勝ったおかげなんだ。チャンピオンが走るから、ツールが大切な大会というわけではない。その逆だ」

質問:話は変わりますが、フランスではサッカー観戦嫌いな女性がたくさんいますが、自転車はどうなんでしょう?日本ではたくさんの女性自転車ファンもいるんですよ。

「それはいいことだね!素晴らしいことだ。自転車競技とは、ファミリーなスポーツなんだ。選手や開催者側、そして沿道のファン含めてひとつの家族。ファンがいてこそ、選手たちは前に進む力を得る。さらに自転車競技の素晴らしい特徴のひとつは、誰もが一緒に楽しめること。男達だけのスポーツじゃない。子供もお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなが一緒に観戦できるのが自転車。だから日本では女性のファンも多いと知って、本当に嬉しいね」

質問:20年後のツールはどうなっているでしょう?20年後というと、ちょうどプリュドムさんが引退する頃ですが……。

「私を追い払う前に、まずは仕事させてよ(笑)!まあ確かに、20年後といったら私が引退する年齢だね。おそらくツールはいつでも時代とともに生きて、時代とともに成長しているはずだ。最も大切なのは、あくまでもツールが『スポーツ』の大会であり続けること。自転車競技の大会として成長し、成功していくこと。その他の分野、金銭面やスポンサー面、人気の面は、競技として成功すればかならずついてくるものだから。20年後のツール・ド・フランスも、世界最高峰のスポーツ大会であり続けるのだ」


interview by Asaka MIYAMOTO

ツール・ド・フランス2006

新開催委員長プリュドム氏インタビュー(2)

2006年07月14日

プリュドム氏の人となりを知った後は、新開催委員長就任のいきさつや理念などを探ってみよう。

質問:ツールという巨大イベントの開催委員長になったいきさつは?

「子供の頃から、実はツール解説者になりたいと夢見ていたんだ。ジャーナリストになろうと決めていたし、今でも私の天職はジャーナリストだと思ってる。でもある日、ルブランから一緒に仕事をしないかと打診された。それまで考えたことさえなかった話だよ。でも打診された瞬間に、胸の奥からなにやら押さえきれない感情が込みあがってきて、すぐに「もちろん」と返答したんだ。だって子供の頃から、自転車競技にはたくさんの夢をもらってきたからね。
 それにツール開催委員長は、創設者デグランジュからルブランまで、いつだってジャーナリストだったんだ。つまり私も同じ経緯をたどって委員長までたどりついだんだよね。だから私はジャーナリスムの世界と縁を切るつもりはない。数あるジャーナリストの中から、たまたま今回は私が指名されただけなんだと思ってる」

質問:委員長としての野望は?

「野望なんて大それたものじゃないけど、ツールがいつまでも人々に夢を与え続けられる大会であるよう、努力していきたい。何百万もの人々、何百万もの子供達が夢をみて、情熱を傾けてくれるからこそ、ツールは素晴らしい大会なんだ。それに自転車は本当に特別なスポーツだよ。長い歴史や、沿道の風景など全部含めてね。だから私にとって委員長の仕事を引き受けたことは、大いなる挑戦だ」

質問:人々に夢を与え続けるために、何かを変えていく必要はあるでしょうか?

「私はもともと改革派ではない。だけど今のツールを守り続けていくためには、ある種の改革は必要だとともっている。時代の流れにあわせていくためには、変わっていくことも大切だ。動かなければ硬化してしまう。もちろん根底から覆すような改革ではなくて、一歩一歩、良くなっていきたいね」

<続く>

interview by Asaka MIYAMOTO

ツール・ド・フランス2006

新開催委員長プリュドム氏インタビュー(1)

2006年07月12日

2006年末に現職を去るルブラン氏に代わって、本格的に式を取り始めたクリスティアン・プリュドム。フランス夏の最大イベントを牛耳っていくプリュドム氏に、話を聞いてみた。

質問:日本ではまだまだ、あなたがどんな人なのか知られていません。以前はTVでツール解説をしていましたよね…?

「スポーツジャーナリストだったんだ。TVでのツール解説は3年間努めたし、フランステレビジョンのスポーツ部長も努めていた。キャリアを始めたのはラジオから。その後、テレビ局に移動した。1990年の宇都宮と前橋で行われた世界選手権も取材したよ。ジャーナリストとして、自転車以外にもテニスやダカールラリーなども追いかけた。テレビ局を一旦離れた後は、MITSUBISHIコーポレーションのパリ~モスクワ~北京ラリー開催の仕事を手伝った。日本人と一緒に働いたけど、実際に行ったのは中国だったけどね。それからラジオでツール解説の仕事を始めて、さらにフランステレビジョンのツール解説、そして今に至るわけだ」

質問:たくさんのスポーツを追いかけて来られたようですが、一番好きなスポーツは何でしたか?

「もちろん自転車。あらゆるスポーツが好きだけど、昔から一番大好きなのは自転車競技だった」

質問:自転車競技への情熱は、どこからきたのでしょう?

「子供の頃からだね。父はよくラジオを聴いていたんだ。もちろん新聞を読んだりテレビを見たりしていたけど、特にラジオを良く聴いてた。だからベルギーのラジオ放送で、私も一緒にツール・ド・フランスやツール・デ・フランドル、フレーシュ・ワロンヌなどを聴いたんだよ。それですっかり自転車競技に魅せられてしまった。オカニャやメルクス、テヴネにイノーといった大選手達に夢中になったものさ」

質問:その中でも、あなたにとってのヒーローは誰でしたか?

「うーん、いっぱいいすぎて困るね!最初はプリドールのファンだった。それからテヴネとジャンフランソワ・ベルナール。最近ではローラン・ジャラベールかな。でも最近すっかり感嘆させられたのは、『ムッシュー』エディー・メルクスだ。史上最高のチャンピオンなのに、あの謙虚さ!人生のお手本になる紳士だね」

<続く>

(写真:新開催委員長として、テレビインタビューを受けるプリュドム氏)

interview by Asaka MIYAMOTO

ツール・ド・フランス2006

ツールと決勝

2006年07月09日

第8ステージ終了直後、7月10日の休日に向けて全チームは2便に分かれて飛行機でボルドーへ旅立つ。約1時間の旅。しかしボルドー空港到着が19時15分と19時30分だから、ホテルへと移動している間にワールドカップ決勝(20時キックオフ)が始まってしまうんじゃない??

もちろん現在フランスを包んでいるとんでもない興奮は、プロトンの中にも存在している。例えば準決勝「生まれ育った国」フランス vs.「両親の国」ポルトガル戦が決まった時、ダクルズが興奮しすぎて出走前サインを忘れてしまったとか、フランスチャンピオンのブラールは決勝の日に「トリコロール」を身にまとって走れることに鳥肌がたつほど感激しているとか。「イタリア男にサッカー嫌いなんていないんだ」という話を聞いたことがあるけれど、準々決勝・準決勝とホテルで熱心にサッカー観戦していたイタリアチームたちは、きっと母国イタリアの栄光を願って走る脚に力を込めるのだろう。

そして今日のゴール地ロリアン市は、ツールの余韻も覚めやらぬまま、市庁舎広場に巨大スクリーンを設置してフランス対イタリアを応援する。

ツール・ド・フランス2006

嵐の後、彼らは…?~ウルリッヒの場合~

2006年07月08日

「ウルリッヒ向け」と言われていた第7ステージ個人タイムトライアルが、今日行われる。ただし彼の姿はない。

ツール前日にチームから出場停止処分を受けたチームリーダーは、現在は電話やSMS(携帯電話によるショートメッセージ)でフランスにいるチームと密に連絡を取り合っているという。第3ステージにチームメイトのケスラーが優勝した時は、思わずテレビの前で涙ぐんでしまったとか……。

あくまでも「無実を証明するために闘う」という姿勢を崩さないウルリッヒ。97年に続く2度目のツール優勝を果せる日が、いつか訪れるのだろうか。

ツール・ド・フランス2006

嵐の後、彼らは…?~バッソの場合~

2006年07月07日

初の総合優勝を狙って乗り込んだ2006年ツールを、バッソは始まる前に追い出されてしまった。一体現在、どんな心境でツールの行方を見守っているのだろう。。。

7月2日(日)にカッサーノ・マニャーゴの自宅へと帰りついたバッソ。大量のメディアが自宅に押しかけてくる中、TVカメラを自宅に入れて愛妻・愛娘と3人で笑いあっている場面を撮影させるなど、なかなか余裕の対応をしている。さらに新聞をじっくり読むシーンで「情報はしっかり収集していますよ」と答え、さらに「関連書類をしっかり分析して、矛盾を突いていきたい」と強く断言。

トレーニングもいつも通りに出かけ、家の前で待つファンのためにサインをしたり、一緒に写真に納まることも決して忘れない。

「僕は逃げも隠れもしない。まるで何もなかったかのように、スポーツマンとしての人生を続けていくさ」


(写真:ここまでの2006年ツールで、「唯一」レキップ紙の一面トップを飾ったのが追放当日の6月30日版。例年ツールの記事はトップ扱いだが、今年ばかりはW杯決勝進出したフランス代表に話題を独占されている)

ツール・ド・フランス2006

平均的フランス人自転車ファンのツールの過し方

2006年07月04日

7月第1週から大型バカンスの波が始まるフランス。つまり自転車ファンは、望みさえすれば、3週間どっぷりTVの前でツール漬けになることができる。なにしろ朝から晩まで、ツール関連番組が盛りだくさんなのだから。

・午前10:50~11:40 フランステレビジョン「ヴィラージュ・デパール」
前日のハイライトから当日朝の選手の様子までを、スタート地のヴィラージュ(スポンサーブース村)からお届け。かつての名選手やハリウッド大スターなども訪れるから見逃せない。目玉はスタート地の名物料理紹介。おなかの虫がそろそろなりだすころだ。

・午後、生中継開始前の30分 フランステレビジョン「ラ・レジョンド・ドゥ・ツール」
ツールの「生き字引」ジャンポール・オリビエ氏が、テーマに沿ったツール史を解説。メルクスやアンクティルなどの超有名選手から、名もないアシスト選手の物語まで映像とインタビューで紐解いてゆく。非常に勉強になります。

・午後14:20頃~ フランステレビジョン&ユーロスポーツ 生中継開始
いよいよ本番。といっても山岳ステージ(山岳は朝10時頃から放送開始となる)以外は、序盤はのんびり午後のお茶やアペリティフ(食前酒)を飲みながら?ちなみに今年のフランステレビジョン解説は、ユーロスポーツからフィニョンが大型移籍!頭の切れる素早い解説に、すでに評判は上々。逆に昨年スタジオに閉じ込められたジャラベールはバイク解説に戻り、こちらも水を得た魚のように生き生きとした実況が聞かれる。ユーロスポーツはヴィランク&デュランの黄金コンビ。

・午後17:30頃~18:45 フランステレビジョン「ヴェロ・クラブ」
「ジェイジェイ」ことジェラール・オルツ氏が、走り終えたばかりの選手を迎え入れてインタビューを展開。人の良い顔をしながら、遠慮なくスキャンダラスな問題にさくっと突っ込みをいれたりする。フランス公共放送のしかも生放送のため、質問によっては、後々大問題に発展することも多々あった。

・午後20:15~20:20 フランステレビジョン「アン・ジュール・スュール・ツール」
短いハイライト番組。

・午後21:45~22:45 ユーロスポーツ「ツールハイライト」
インタビューを交えた1時間ハイライト番組。

・深夜 ユーロスポーツ「シャッカン・ソン・ツール」
新開催委員長プリュドム氏、フォイクト(CSC)、コフィディスのチームスタッフ、アメリカ人ジャーナリストの4人を、3週間毎日追いかけ続けるもの。

こうしてツールファンの夜はふけてゆく……。

ツール・ド・フランス2006

呪われたツール!?

2006年07月03日

前日の騒動で幕を開けたツール・ド・フランスは、第1ステージも大アクシデントに見舞われた。特に目の前5mのところで黄色い影が音もなく倒れこみ、赤色がどんどん広がるのが見えたのにはかなり衝撃を受けたが……。

ハスホフト:PMU緑の手で右腕を長さ5cmほど切る
ボーネン:観客のカメラにぶつかる
ザブリスキー&ゴメスマルチャンテ:ハチに刺される
デゥエナス:歯が痛い

幸いなことに、4人とも無事に第2ステージ出走予定!

ツール・ド・フランス2006

Allez les Bleusのおかげで

2006年07月02日

ツール史上でもまれに見るスキャンダルが起きた割には、フランスメディアの扱いは控え目。理由は簡単。サッカーフランス代表の快進撃が同時に進んでいるから。そして普段はレキップ一面トップ扱いのツール開幕ニュースも、なんと白黒ページ扱い……。TVニュースもウルリッヒ&バッソそっちのけで、ジダンやアンリに夢中だ。唯一黄色い表紙でツールを歓迎してくれたのは、ストラスブールの地元紙DNAだけ。

ハスホフトがプロローグを勝ち取った翌日、7月2日の紙面も、フランスがブラジルを撃沈したニュースで持ちきりに違いない。ツールが一面トップを取り戻すのはいつの日か!

(写真:ツールを創設したはずのレキップ紙の、プロローグ当日の一面。ツールについては情報に小さく「嵐の後にツール出発」とだけ書いてある)

Asaka MIYAMOTO

ツール・ド・フランス2006

認めた選手、認めない選手

2006年07月01日

6月30日の朝、AG2Rのヴァンサン・ラヴニュがマンセーボに会いに行った時、マンセーボはこう言ったという。

「もう終わりです。僕はここから立ち去ります。自転車を降りますよ」

ラヴニュはこれをある種の「告白」とみなして、これ以上何も聞かなかったそうだ。一方でリストの件を告げられたバッソは、かなり驚いて「僕は何も知りません」と言ったとか。しかしリース監督は「私の責任の名の元に」バッソにツールから立ち去るよう告げている。

プレスルームではなく、滞在ホテルで記者会見を行ったTモバイル。ウルリッヒも「何も関係のないこと。僕は犠牲者ですよ」との発言を残して、ツールを立ち去った。

(写真:午前10時頃には「はっきりしたことが分かるまで、バッソの進退は決めない」と言っていたリース監督。午後13時50分から始まった会見で、バッソの不出場が発表された)

ツール・ド・フランス2006

大激震

2006年07月01日

2006年ツール・ド・フランス開幕前日、9人の選手と1人のチーム監督がツールから立ち去った。

5月23日に露呈したスペインドーピング禍に関わりのある選手リストを、スペイン司法が正式発表したことが発端だ。関わりのあったのは4チーム。それぞれが一応、「自主判断」で当該選手・監督のツール出場を取りやめている。

■T-モバイルチーム
Jan ULLRICH
Oscar SEVILLA
Rudi PEVENAGE(監督)

■チームCSC
Ivan BASSO

■AG2R
Francisco MANCEBO

■アスタナ・ウルト(※最終的にチーム全体が出場を取りやめた)
Sergio Paulinho
Isidro NOZAL
Allan DAVIS
Alberto CONTADOR
Joseba BELOKI

またチーム監督会議では、不出場選手の穴を補欠で埋めないことが全会一致で決定された。これは自転車競技は正々堂々とドーピング問題と戦い、不正には簡単に屈したりしない、という強いアピールなのだ。

「潔白な選手が、あくまでも潔白であることをファンに証明できるように、今後も司法調査は続けて欲しい」

マンセーボの代わりに、AG2Rのリーダーに昇格したモローはこう力強く述べた。7月1日に始まるツール・ド・フランスが、100%潔白な選手たちによる素晴らしいレースになるよう、誰もが願っている。

(写真:記者会見で新ディレクターのプリュドムはあくまでも毅然と振舞った。その横で、ルブランは疲れた様子を隠せない)

Asaka MIYAMOTO

ツール・ド・フランス2006

ツールが街にやってきた!

2006年06月30日

2006年ツールのグラン・デパール地はドイツ国境のストラスブール。その隣国で行われているサッカー世界大戦のおかげで、チームプレゼンテーションはいつもよりも1日早い木曜日に行われた。

週末にはちょっぴり早いとはいえ、18:30から行われたプレゼンテーションには鈴なりの人・人・人。特にストラスブール市内をゆったりと流れるリル川のほとりで選手たちのお披露目が行われたため、対岸からファンはじっくりと眺めることが出来たようだ。しかも選手たちは船に乗って登場し、船に乗って退場。つまり上流から下流まで、街のいたるところで選手の姿が堪能できた。

しかしツールを受け入れるのも、住民にとっては楽じゃない。28日午後からすでに道路閉鎖があちこちで始まり、29日は町外れの大会本部周辺とプレゼンテーションが行われた市中心部は道路閉鎖+路駐完全禁止。そして7月1日と2日は、実際に街中でステージが行われるため、ほぼ全市の交通網が麻痺するのだろう。

とはいっても、ストラスブールはフランスでも指折りの自転車都市。街のいたるところに自転車専用レーンが敷かれ、車の渋滞を横目に、たくさんのサイクリストたちが通りを颯爽と走り抜けていた。

(写真上:かわいい木組みの家で有名な川岸に、観客達が詰め掛けた。)
(写真下:ストラスブールからそれほど遠くない町で生まれ育ったモローには、多くの声援が飛んでいた。)


ツール・ド・フランス2006

プロローグの夜は…サッカー!

2006年06月28日

フランスサッカー代表が、W杯で準々決勝進出を決めた。試合終了後から1時間以上たっても、(まるで優勝したかのように)パリではあちこちでクラクションが鳴り響き、若者達の歌い声こだましている。まあ4年前の屈辱を思えば、待ち焦がれた勝利への喜びが爆発するのも当然か。

そのフランス代表が準々決勝ブラジル戦に挑むのが、7月1日の現地時間21時。なんと、ツール・ド・フランスの初日プロローグの夜である。フランス選手やフランス人ジャーナリストたち、そしてもちろん全てのフランススポーツファンが、きっとツール初日の疲れそっちのけでTVにかじりつくことだろう。

ツール開催委員会もその辺はよ~く了解済み。例年プロローグは夕方遅い時間帯に行われるものだが、今年はW杯時間に合わせて16時15分頃には終了する予定だ。おかげでレース後にそれぞれの仕事を終えて、落ち着いてサッカーに集中することが出来るというわけ。

ちなみにプロトン内に多数送り込んでいるドイツとイタリアは、それぞれプロローグ前日の17時と21時がキックオフ。特にイタリア戦は終了が23時だから、興奮して選手たちが寝不足になったりしないといいけれど。

ツール・ド・フランス2006

ヴィノクロフのツール出場危うし!

2006年06月27日

6月26日(月)、ツール・ド・フランス開催委員会が、アスタナ・ウルト(旧リバティセグロス・ウルト)に自ら出場辞退するよう申し出た。UCIから正式にアスタナ新スポンサーが認められ、新ジャージがお披露目され、これでツール出場にゴーサインが出たと思った途端の青天の霹靂(青天ではなかったかもしれないが)。しかもアスタナが自ら出場辞退しなかった場合は、ツール側がスポーツ調停委員会に異議申し立てをするだろうというおまけ付き。

これは98年フェスティナ事件で大ダメージを受け、ほんの少しの疑惑でも排除しようと努めてきたツール・ド・フランス側の、強い意思表示である(確か当時も、規則によりツール側がフェスティナを失格にすることは出来ず、大会委員長ルブラン氏が選手たち自ら大会を去るよう説得したのだった)。2004年ツールでは、警察の調書リストに載っているというだけで「潔白」のディルーカを出場拒否し、論議を醸し出している。

しかしヴィノクロフはどうなるの!?ツール優勝を目指すために、Tモバイルを離れて新天地にたどり着き、自らの影響力でスポンサーも探してきたというのに。気になる最終的な出場可否については、おそらく直前まで答えが出ないことだろう。

いずれにせよレース後3キロでボイコットになったスペイン選手権の例から見ても、アスタナ・ウルトの処遇がどうなるにせよ、2006年ツール・ド・フランスでは何かとんでもないことが起こるかもしれない……。

ツール・ド・フランス2006

各国チャンピオン誕生

2006年06月26日

先週末には世界のあちこちで、各国選手権が行われた。つまりツール・ド・フランスでは、新たなナショナル・チャンピオンジャージをまとった選手たちを発見することができるのだ!ちなみにTTチャンピオンは個人タイムトライアルで、ルートチャンピオンは通常ステージで、各国国旗を彩ったジャージを着用する。

<ツール出場予定のチャンピオンたち>
■フランス
ルート ブラール(ケース・デパーニュ)
TT シャヴァネル(コフィディス)
■オランダ
ルート ボーヘルト(ラボバンク)
TT クレメント(ブイグテレコム)
■カザフスタン
ルート カシェキン(アスタナ・ウルト)
■ドイツ
TT ラング(ゲロルシュタイナー)
■イタリア
TT ブルセギン(ランプレ)
■スウェーデン
ルート ロヴクリスト(フランセーズ・デ・ジュー)

<ツールには出場しないけれど……、プロツールで会いましょう!>
■イタリア
ルート ベッティーニ(クイックステップ)
■スイス
ルート ラスト(フォナック)
TT カンチェラーラ(CSC)
■ルクセンブルク
ルート キルシェン(Tモバイル)
■日本
TT&ルート 別府史之(ディスカバリーチャンネル)

<ドーピング禍まだまだ続く>
■スペイン
ルート ドーピング関連の新聞記事に反発して、3km地点でボイコット。

ツール・ド・フランス2006

レキップの懲りない面々

2006年06月25日

前日ルモンド紙に内容をすっぱ抜かれてしまったが、ツール開幕をちょうど1週間後に控えた24日土曜日、レキップ・マガジンがアームストロングのドーピング問題を再び蒸し返した。雑誌の表紙は黄色地に黒いアームストロング横顔のシルエット。その横顔の中には、がん検診の際に彼が発したといわれる疑惑のセリフが。

しかし毎年ツール前になると、フランスでは思い出したようにドーピング関連本が出版されたりTV討論会が放送されたりする。もちろんドーピング問題は避けては通れない話だけれど、なぜよりによってこの時期に?98年フェスティナ事件以降、「でも自転車選手ってみんなドーピングしているんでしょう?」というセリフがうんざりするほど飛び交い続けているのは、執拗にドーピング(しかも他国選手ばかり)を叩き続けるフランスメディアのせいもあるのかもしれない。

まあ特にレキップ紙は、アームストロング相手にはどうも客観性を失ってしまうところがあるようだ。なにしろ2006年ツール翌日の社説に、「アームストロングの偉業には敬意を払う。しかしMerciとは絶対に言わない」と書き捨てた新聞ですから……。

ツール・ド・フランス2006

各チームのリーダは??

2006年06月24日

ツール・ド・フランスの参加21チームが、ぞくぞくとメンバーを発表し始めた。もちろん気になるのは、各チームのリーダー。バッソやウルリッヒがチームトップなのは1年前から分かりきっている事実としても、他のチームは誰がエースナンバー下一桁「1」を付けるのだろう。

<確定!>
■チーム CSC:バッソ(総合)
■Tモバイル:ウルリッヒ(総合)
■アスタナ・ウルト:ヴィノクロフ(総合)
■ケースデパーニュ:バルベルデ(総合)
■フォナック:ランディス(総合)
■ゲロルシュタイナー:ライプハイマー(総合)
■ラボバンク:メンショフ(総合)
■エウスカルテル・エウスカディ:マヨ(総合、山岳賞)
■クイックステップ:ボーネン(ポイント賞)
■クレディアグリコル:ハスホフト(ポイント賞)

<おそらく……>
■ダヴィタモン・ロット:エヴァンス(総合)
マイヨ・ヴェールを狙うマキュアンは、またまたチーム全体のアシストは受けられないらしい。
■ランプレ:クネゴ(ステージ優勝、山岳賞)
ツール初出場。経験を積みに来るか、ジロのリベンジを果すのか。

<どちら?>
■リクイガス:ガルゼッリorディルーカ(ステージ優勝)
■サウニエルドュバル:ミラーorシモーニ(ステージ優勝)
■ディスカバリーチャンネル:ヒンカピーorポポビッチ(総合)
■アージェードゥーゼール:モローorマンセーボ(総合、山岳賞)
■コフィディス:シャバネルorモンクティエ(総合、山岳賞)

<うーん、誰だろう?>
■フランセーズデジュー
マクギーの不出場が決まり、チームの狙いを急遽変える必要に迫られた。ジルベール、ジロ6位のカザール、スプリンターのエイゼルなどがリーダ候補。
■ブイグテレコム
やはり2004年にマイヨ・ジョーヌを来たヴォクレールがリーダーか。オールラウンダーのピノー、世界選手権銅メダリストのジェラン、ベテランのブロシャールなど、候補多数。
■ミルラム
ペタッキのいない今、トレインはツァベルのために走るのか?それとも全く別体制で行くのか。

※ツール仮出走リストはこちら

ツール・ド・フランス2006

チームプレゼンテーションまで1週間

2006年06月22日

毎年ツールはグラン・デパールの前日、つまり金曜日の夜にチームプレゼンテーションが行われる。ただし今年は例外的に、全選手がお披露目されるのは木曜日。これは前日の6月30日に、ドイツW杯の準々決勝2試合が開催されるため。これで自国代表やお気に入りチームの試合時間を気にせず、選手たちもゆっくりファンの前で手を振ることができる。

そしてストラスブールでのチームプレゼンテーションは、EUヨーロッパ共同体会議場前で行われる。リル川沿いにあるこの建物に、選手たちは船で登場するんだとか。

さらにプレゼンテーション後は船でストラスブール市街地を巡り、最終到着地点はラ・プティット・フランス。木組みの古い町並みが残る、まるで童話から飛び出してきたようなメルヘンチックな一角に、カラフルなジャージが舞い降りるのだ。

※出場選手「仮」リストはこちら

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